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未来の会

女性の常任理事として取り組む 「男女共同参画」と「産業保健」

女性の常任理事として取り組む 「男女共同参画」と「産業保健」
神村 裕子(かみむら・ゆうこ)1955年岩手県生まれ。79年山形大学医学部卒業。トヨタ病院内科、山形鉄道病院内科非常勤、沼沢胃腸病院内科非常勤を経て、86年同院副院長。94年川越病院(同院が名称変更)副院長。2014年株式会社わーく労働衛生コンサルタント代表取締役。山形県医師会理事、常任理事を経て18年副会長、日本医師会代議員。20年日本医師会常任理事。
——地方の医療がいろいろな問題を抱えていますが、ご出身の山形県の現状は?

神村 山形県は地域医療ネットワークが充実しています。医療情報のネットワークなのですが、大きくは病院間の患者さんの紹介があり、小さくは地区医師会の中の介護や薬局まで含めたネットワークです。地元の住民の暮らしを良くしようと思ったら、やはり医療だけで完結するはずがなく、高齢者が多いですから介護はどうしても必要になります。そこまで含めたネットワークを作ろうとしているという事です。そういった事もあって、山形県の医療は幸いな事にうまくいっていると思いますが、これは山形県医師会の会長のリーダーシップによるところが大きいです。私自身、山形県医師会の副会長も務めているのですが、山形県医師会は、県との連携や、唯一の医学部を持つ山形大学との連携を大切にしています。医師会が他の組織を繋げる存在になろうと活動してきました。

——山形県の医療がうまくいっているとすると、それは他の県にも活かせそうですね。

神村 ただ、地方医療の状況は県によって大分違います。山形県は民間病院も公立病院もありますが、同じ東北の岩手県は公立病院が主ですから、県がこうすると言ったらそれで決まりやすい。山形県は医療をまとめていくのに医師会の果たす役割が大きかったと言えますね。

病院経営者が男女共同参画に関心を示す

——日本医師会の常任理事としての抱負を。

神村 中川会長の医師会運営をサポートしたいという思いはありますが、私自身はこれまでも、こういう事をやりたいと熱く語ってきたわけではありません。ただ、常任理事の席を与えていただきましたので、全国には頑張っている女性医師もたくさんいますし、素晴らしい意見をお持ちの方もいますから、そういった方々に医師会に集っていただき、その意見を日本の医療に活かしていきたいと考えています。私自身はそういう立場なのかなと思っています。

——医師会役員の仕事を始めたのは?

神村 山形市医師会の理事に、と言われたのが最初です。私は山形大学の1期生なので、私がやらないと次に続く女性がいないかもしれないと考えて、力不足でしたが引き受けました。立派な事は出来ないけれど、後に続く人のために入口を作っておかなければ、という思いでしたね。ちょうど子育てがひと段落ついた頃でした。

——常任理事として男女共同参画を担当されていますが、現状はどうでしょうか。

神村 男女共同参画について日本医師会は毎年フォーラムを開催しています。私も全国各地で開催されるフォーラムに連続して何回か参加してきたのですが、年々変わってきています。以前は女性達の集まりという感じでしたが、だんだん男性が増えてきました。これは病院を経営される先生方にとって、男女共同参画が切実な問題になってきたからだと思います。女性医師をきちんと活用していかなければ、医師不足に対応出来ません。そのためにも、女性医師が働きやすい環境を整える必要がある、と真剣に考える時代になったという事ですね。

——常任理事に立候補した時のスピーチで、シングルマザーで3児を育てたと話されていますが、働く環境でのご苦労もあったのですか。

神村 働く場はあったのですが、給料が安かった事ですかね。その頃は本当に世間を知らなかったというか。医療機関で働く以外、子育てはしていましたが、社会勉強する時間はほとんどありませんでしたから。臨床医としての30代、40代というのは、一生懸命臨床を学んでいる時期でもあるし、子育てもあるし、とにかく忙しくしていました。その頃に流行した歌は何だって聞かれても分からないし、カラオケでこれが何年に流行った曲と言われても、聴いた事がない、知らない、という時代が私にはあります。子ども達がそれなりに大きくなって、ようやく一息ついた感じでした。

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