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未来の会

第139回 「ポストコロナ」と国際社会の行方

第139回 「ポストコロナ」と国際社会の行方

 新型コロナウイルスが収束した後、世界はどう変わるのか、あるいは変わらないのか——。

 「ポストコロナ」の議論が活発化している。生活様式から世界情勢、更には人類史まで論域を広げたものもあり、興味深い。いずれにしても、第2次世界大戦後、世界をここまで震撼させた事案は初めてであり、人類は熟慮を迫られているのかもしれない。

グローバリゼーションは止まる?

 「新型コロナウイルスのパンデミックがグローバリゼーションの負の側面である事は間違いない。グローバリゼーションや相互依存というコロナ以前の基本的方向性に懐疑の目が注がれるのはやむを得ないだろう。発生源でありながら、いち早く立ち直った中国、そして最大の被害を被った米国。この2つの大国がどう動いていくかが今後の鍵を握る。とりわけ気になるのは、米国の大統領選の行方だ」

 自民党幹部は市場経済で物事が動く限り、グローバリゼーションの流れは変わらないと考えている。懸念は、新型コロナの対応で明暗を分けた米国、中国が決定的に対立し、世界が「米国型自由主義経済社会」と「中国型中央集権国家資本主義社会」に2分される事だという。

 「米国型と中国型の2つに世界が分離されれば、2つのスーパーパワーの間でこそ、存在感を発揮出来る日本は立ち位置を失う。そうならないよう外交面で積極的に働き掛ける必‮-‬nがあるが、初動の遅れから未だに国内の対応に追われ、何も手が付かない」。平素は冗談交じりに語る自民党幹部は珍しく深刻そうな表情で語った。

 確かに、国会論戦は内政問題一色だ。安倍晋三首相が国民全部に配布すると勝手に意気込み、466億円もの巨費を投じた「アベノマスク」への批判は当然なのだが、マスクが手に入らないのはグローバリゼーションの進展で原材料も含め、生産手段を海外、つまり中国に依存している事の裏返しでもある。

 「マスクを配るカネがあるのなら医療機関への支援に充てろ」という主張は理にかなっているが、医療政策に関し、「医療資源の効率的な活用」「病床稼働率の向上」を最優先してきたのもグローバリゼーションに伴う国際競争の激化と無縁ではない。国際市場経済の大きな流れの中で、見落としてきた様々な問題がコロナを契機に噴き出しているのだ。

 しかし、その本質に迫る議論は少ない。緊急事態なのだから、まず、困っている国民の声を聞かなければならない、というのはその通りだ。だが、政府の施策の可否のチェックと並行して、今、来し方の「過ち」を正しておかなければ、「コロナ禍」の後の改善も望み薄だろう。

 医療政策に詳しい野党幹部が語る。「準備はしているが使わない資源、この事を経済学ではスラック(余裕、遊び)というのだが、この観点が欠落していた。マスクや医療機材がまさにそうだ。スラックのないシステムは危機に弱い。市場経済はスラックを好まない。しかし、国家は危機に備え、スラックを持つ事も考えないといけない。市場と国家。このバランスをもう一度考え直す必要がある」。

 自民党右派の間で、じわじわと高まっているのが憲法改正問題だ。パンデミックなど国家的な危機に際し、国家権力は個人の権利を制限出来るというのがその骨格だ。きっかけは、中国の独裁的、強権的な対応策が対コロナで成果を上げたとされている事だ。

 右派の論壇からは「日本の回復が立ち遅れたのは基本的人権に配慮し過ぎたからだ。民主主義の非効率を正すために憲法を改正し、私権を制限出来る非常事態条項を設けるべきだ」との声が出ている。普段は敵視している中国の強権政治に学べというのだから、ご都合主義以外の何物でもないのだが、コロナを契機に私権の制限に理解を示す国民は増えている。

 軌を一にして、県外からの移住者や県外ナンバーの車両への排斥や嫌がらせも各地で問題になった。コロナへの恐怖が「地域主義」を煽り、地域を守る手段が〝プチ鎖国〟による排外しかないという偏った感情を呼び起こしたのだ。

 自民党右派の問題提起は一見、もっともらしく映る。しかし、憲法改正による強権的な手法で当座をしのいだとしても、その後に大きな禍根を残す事になる。強権的手法は権力の暴走を招きやすく、独裁政治の呼び水になるからだ。緊急事態は次々に拡大解釈され、社会のあらゆる分野に影響を及ぼしてくる。「三権分立の日本でそんな事はあり得ない」という主張もあろうが、財務省による公文書の偽造、検察庁のトップ人事への政府の露骨な介入等がまかり通る日本の現状を考えれば、絵空事ではないと分かるだろう。

 今回、日本が手本とすべきは、中国ではなく、きめ細やかな情報公開を柱にした民主的手法でコロナの封じ込めに成功した台湾だろう。民主的手法であっても政府が迅速に的確な判断をすれば感染症に十分対処出来るという証左だ。

 日本の回復の遅れは、政府が東京五輪・パラリンピックの開催幻想にとらわれ、判断が遅れたからだとの指摘もある。憲法うんぬんより、政府の対処能力の問題なのだ。米欧に比べれば、日本の感染者や死者は桁違いに少ない。米欧とアジアでは新型コロナウイルスのタイプが異なるとの見方もあるが、日本社会の適応力は決して低くはないのだ。

新時代のカギとなる米大統領選

 「対応にぬかりはなかったと胸を張れるものではないが、それでも、オーバーシュートは回避出来た。過ちは教訓として残せばいい。問題は、この後、世界がどうなるか。ポストコロナの行方だ」。自民党長老は大きな変化の予感がするという。

 第2次世界大戦後、国際社会は国境を越える人の交流や貿易投資を拡大し、市場の成長を達成する事を基本に動いてきた。コロナという逆流で、この基本が揺らいだ。米国のトランプ大統領の言動に顕著だが、アンチグローバリゼーション、国家主義の台頭がそれだ。

 トランプ大統領の中国・世界保健機関(WHO)批判は選挙戦術の色合いが強いが、その根底にはグローバリゼーションへの確信的な懐疑がある。米国の世論調査によると、コロナの対応でつまずいたトランプ大統領の支持は、民主党の大統領候補となる事が確実視されるバイデン前副大統領を下回り続けている。バイデン前副大統領は同盟諸国との協調を主張しているが、中国に対しては従前より厳しい姿勢に変わっている。

 「トランプが勝っても、バイデンが勝っても米国はコロナ前と様相を変えてくるだろう。それは自民党総裁選にも少なからず響いてくる」。自民党長老はそう見ている。 

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