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未来の会

地域を支え赤十字病院への期待に応える 急性期医療に取り組み、災害派遣でも存在感

地域を支え赤十字病院への期待に応える 急性期医療に取り組み、災害派遣でも存在感

加藤 誠(かとう・まこと)日本赤十字社病院長連盟会長、成田赤十字病院院長
1947年埼玉県生まれ。72年千葉大学医学部卒業。同年同大学医学部付属病院脳神経外科入局。76年成田赤十字病院脳神経外科。79年同病院脳神経外科副部長。80年同病院検査部長。81年同病院理学診療科部長。82年同病院放射線科部長を兼任、第二脳神経外科部長。84年同病院第一脳神経外科部長。95年同病院副院長兼救命救急センター長。99年同病院院長。2016年日本赤十字社病院長連盟会長、全国公私病院連盟副会長。


 日本赤十字社の病院は全国に92施設ある。その病院長が集まる日本赤十字社病院長連盟は、「第4の組合」と呼ばれ、本社事業部と共に赤十字社の医療活動の発展に努めてきた。2016年より病院長連盟会長を務めるのは、成田赤十字病院院長の加藤誠氏。同病院は災害医療や救急医療の分野において、千葉県で唯一の赤十字病院として多くの期待に応えてきた。また、早くから地域連携に取り組み、地域の中核病院としても大きな役割を果たしてきたという。

——日本赤十字社には病院長連盟という組織があるのですね。

加藤 日本赤十字社傘下の医療施設の院長が自主的に集まった組織で、第4の組合とも呼ばれています。労働組合が三つあるので、4番目の組合ということですね。全国に病院だけで92施設あるのですが、病院に関わるいろいろなことを本社が決めてきます。しかし、本社の人たちは基本的には事務官ですから、医療現場のことがよく分かっていないこともあります。何か困った規制ができたような場合、一つの病院がこれはおかしい、こうしてほしいといっても、なかなか聞いてもらえません。そこで、病院長連盟は病院側の意見を伝える役割を担っています。相互に協力し合い、赤十字社の医療活動の発展に努めることを目指しています。

——事業計画は本社が決めるのですか。

加藤 2015年度までは本社の医療事業部で事業計画を立て、それを4月に発表するという形でした。しかし、4月に言われても、その時には既に各病院の事業計画はできていますから、遅過ぎるわけです。そうしたこともあって、16年4月から体制が変わり、医療事業部に代わって医療事業推進本部ができました。赤十字病院の事業に関しては、この本部の医療施設経営会議において決定していく、ということになったのです。この会議のメンバーは、13人中9人が病院長連盟の代表ですから、これまでと違って現場のことが分かる人たちが集まっています。

——新たな体制になって何が変わりましたか。

加藤 これまでそれぞれの病院に理念や基本方針がありましたが、赤十字病院グループとしての理念や基本方針はありませんでした。そこで、「赤十字医療施設事業計画・業績評価検討部会」で検討し、赤十字病院グループ全体の理念と基本方針を作ることになりました。16年11月に開催された医療施設経営会議に検討部会から案が出され、承認されました。理念は「私たち赤十字病院グループは、災害医療・救急医療・地域医療等の面から地域に貢献することを通じて、赤十字の理念の実践や赤十字思想の普及啓発に努めてまいります」となっています。

災害派遣と相互の助け合い

——災害時の医療は期待されていますね。

加藤 赤十字病院に対して、人々が何を期待しているかといえば、まず挙がるのが災害医療でしょう。赤十字病院には、800床を超える大病院から、100床に満たない小さな病院までありますが、どんな規模の病院であっても、災害が発生すれば、すぐに救護班を派遣します。

——東日本大震災のときはどうでしたか。

加藤 地震発生が14時46分でしたが、成田赤十字病院では18時30分に第1班を石巻に向けて出動させました。ディズニーランドに5万人の帰宅困難者がいるというので、第2班はそちらに向かわせ、第3班は5000人の帰宅困難者がいるという成田空港に向かわせました。第4班は石巻でした。自衛隊のヘリで行くことになったのですが、ヘリの到着場所が二転三転し、実際に被災地に向けて飛び立てたのは日が変わってからでしたが、病院としては、地震発生当日に4班を出動させることができました。それから6月まで救護班を出し続けました。また、その後も心のケアのため、精神科を持つ赤十字病院と調整しながら、翌年3月まで精神科の医師を派遣していました。

——2016年も各地で災害が起こりましたが。

加藤 熊本の地震では、熊本赤十字病院の職員の半数ほどが被災者になってしまいました。避難所から病院に通っている人もいたほどです。そこで、全国の赤十字病院では、熊本の被災地に救護班を派遣するのに加え、熊本赤十字病院に医師や看護師や事務員を派遣してきました。それによって、熊本赤十字病院の職員に少し余裕ができ、休めるようになったと聞いています。

——規模の小さな病院から災害派遣を出すのは大変でしょうね。

加藤 16年8月の台風10号で北海道は大きな被害に見舞われましたが、清水赤十字病院も職員の一部が被災する状況でした。帯広の西、上川郡清水町にある病院です。川が氾濫し、今でも鉄道が復旧していません。清水赤十字病院は92床という規模で、職員も100人に満たないのですが、そこから公民館の避難所などに救護班を派遣していました。もちろん、熊本地震のときも、清水赤十字病院から熊本に救護班が派遣されています。

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