「卑怯で下賤」の言葉が自らに跳ね返る疑惑への対応
この世に、完璧な精神状態の人間は存在しない。誰しも多かれ少なかれ心的暗部、あるいは何らかの精神疾患に通じる要因を抱えている。
だが、公的地位・立場と社会への影響力を有する人物であれば、その言動が精神医学の面から論じられるケースが珍しくない。
例えば、精神科医でノンフィクション作家の野田正彰が、大阪府知事、大阪市長の座をいずれも途中で投げ出した橋下徹について、月刊『新潮45』の2011年10月号で、その「挑発的発言、扇情的な振る舞い、不安定な感情」から、「自己顕示欲型精神病質者」と診断している。
また精神科医の香山リカは、安倍晋三を「後天的パーソナリティ障害」としての「傲慢症候群」と分析している。
安倍はその尋常ならざる虚言癖とは別に、感情の抑制ができない幼児性で橋下と共通しているが、いずれにせよこの2人が主義主張とは別に、何らかの精神分析が必要なほどの人格的欠損部分を抱えた「公人」の代表格であるのは間違いない。
だが、この両人すら「健常」に見えるほど、極端な人格・品性上の欠陥をさらけ出しているまれな例として、石原慎太郎がいる。
この男の①すさまじいまでの差別意識②何かの束縛や規範、他者からの批判から自分だけは免れていると考える傲慢不遜③自己の言質に対する責任意識、謙虚さの欠如——といった特徴は、いったい何をどうしたら人間をここまで増長させることができるのかという、素朴な疑問を呼び覚ますほどだ。
こうした男に対し、前述の野田などはどのような診断を下すのか興味が尽きないが、当の本人は現在、東京・築地市場の豊洲移転をめぐる疑惑の渦中にある。これというのも本来、決して公人にしてはいけない男に権力を持たせた結果なのだ。似たようなことは他でもやらかしており、単にメディアがこれまで追及らしきこともせず、放置してきた結果が今になっての疑惑騒ぎにほかならない。
その疑惑にしても、石原が都知事時代、日本の戦後の主要自治体首長として他に例がないほど、デタラメを極めたための産物と見なし得る。勤務態度からして論外で、06年2月から翌年1月までの1年間に限れば、石原が出勤したのはたったの130日だけ。週に2〜3回の登庁で、しかも平均在庁時間は4時間20分というから、これで一国の首都の長の責務が果たせるはずがない。「動静不明」に至っては、1年7カ月の間で実に110日もあった。
豪遊と身びいきの公私混同
その挙げ句の公私混同の狼藉、都政の乱脈・不正ぶりが出るわ出るわ。その一部だけでも、以下のような例がある。
①ほとんど遊びの海外出張を19回も繰り返し、経費が判明した15回の総経費がなんと2億4000万円以上。実質1時間半の「調査」のために約3600万円もの経費を浪費した英国、往復の航空運賃が143万8000円、本人の船賃だけで約52万円の4泊5日の高級宿泊船クルーズ込みの「視察」と称したガラパゴス諸島など、ぜいたく三昧にふけった。
②石原の思い付きで04年に都が設立した「新銀行東京」が、赤字の連続。08年には破綻状態になり、税金1400億円を出資したものの、損失を帳消しにする減損処理で855億円を失う。都は15年にようやく手を引くが、同行の主要な融資先が石原の3男の宏高(自民党衆議院議員、内閣府副大臣)の地元である品川・大田両区であり、「身内の選挙対策」との批判も。
③02年に設立された都の若手芸術家支援事業「トーキョーワンダーサイト」に絡み、石原は芸術家としての実績もない4男・延啓を外部役員として抜擢。他の都文化施設は予算を減額する一方で、こちらには5億円もつぎ込み、知人を運営に参画させた。
なお、石原は②について都議会で野党から責任を追及された際、して「バカな質問するな」「で下賤だ」などとヤジを飛ばしたが、石原のゆがんだ品性を象徴するエピソードではある。
ちなみに、散々公私混同が批判された前知事の舛添要一の1回当たりの平均海外出張費は2663万円で、石原の1662万円を上回る悪質さだが、任期は約2年にとどまった。舛添に加えられたメディアのバッシングを考えれば、せめてその激しさの何分の一でもいいから石原に向けていれば、4期にも及んだ在任期間中に、少しは都政へのチェック機能が発揮されたのではなかったか。
国士気取りの一方で疑惑にはダンマリ
そして、小池百合子新知事の誕生で、やっとのことで騒がれ始めた石原が〝主犯〟である豊洲の疑惑だ。
ここに至ってもメディアはまだ石原追及に及び腰だが、最大の焦点は一つ。築地市場の豊洲移転に伴い、予定地の土壌汚染対策を検討する専門家会議が07年5月、「有害物質が建物内に入る恐れがあるため、地下施設は造らない方がいい」と指摘し、翌08年5月に盛り土にする方針を決定したのに、なぜ石原が地下にコンクリートの箱を埋める工法に固執し、結局盛り土もされないままになったか、だ。
これについて石原は当初、無責任にも「だまされたんですね」「都の役人は腐っている」、「全部下や専門家に任せていた」などと放言。
挙げ句に、自身の押印がある盛り土工事はしなくともよいと読める契約書が明るみになると、今度は別人のようなしおらしさで、「誠に申し訳なく思っております」などいう「コメント」を9月21日に発表した。
だが、噴飯ものは、「間もなく84歳になる年齢の影響もあって、たとえ重大な事柄であっても「記憶が薄れたり、勘違いをしたりすることも考えられます」というくだりだろう。そのため取材は、「無用な混乱を招く恐れがあることから、控えさせていただく」という。
冗談ではない。『産経』9月19日付朝刊1面で「異常の気象の暗示するもの」と題し、「温暖化」がどうのこうのと弁じているのは、石原本人ではないか。「84歳」を口実に弱音を吐くくせに言論活動は自粛せず、都の「ヒアリングは嫌だから書面で質問しろ」というのは、それこそ「卑怯で下賤だ」。
この『産経』のコラムの題は、何と「日本よ」だと。まだ石原が「国士」風情を気取りたければ、自分の悪事の解明に、公の場で「記憶」を振り絞って協力するのが先決だ。
同時に、石原をいまだに1面に登場させて恥じない『産経』以下のメディアも、こんな男を増長させるだけ増長させた結果責任として、豊洲疑惑を捉えるべきではないのか。
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