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未来の会

過剰診療を生む診療報酬改定の歪み

過剰診療を生む診療報酬改定の歪み

制度改革と現場改善の両輪で中長期の持続可能性へ

2年に1度の診療報酬改定は、医療現場にとって“経営の天気予報”にも例えられる。改定率が僅かでも上下すれば、医療機関の収益構造が変わり、医師やスタッフの待遇、設備投資、ひいては地域医療の持続性に迄影響する。近年は物価高や人件費上昇に追い付かない微増が続き、実質的な「減収改定」と受け止められる局面が多い。

本来、診療報酬改定の目的は医療の質向上と財政健全化の両立にある筈だが、現場では、この運用が診療頻度の設計に影響を与え易い。課題は制度・運用の設計に有ると言えるのではないか。制度の簡素化・標準化と現場でのフローとKPIの両輪で、「過剰」診療の芽を計画的に摘み取る体制の整備が望まれる。

診療報酬改定がもたらす経営圧迫

近年の改定では、算定要件の追加や包括範囲の拡大、記録義務の強化が進み、単価は伸び難い一方で人件費・事務コストは増え易いというねじれが生じている。中小規模の開業医ほど固定費吸収が難しく、検査・在宅・管理料の頻度設計に迄影響が及び、負荷が強まっている。

厚生労働省によれば、2024年度の診療報酬改定は全体で0.88%の引き上げとされた。数字だけ見れば増額だが、同年度の物価上昇率は3%近くに達し、光熱費や医薬品・検査機器のコスト上昇も重なって、実収は伸び難い局面が広がっている。

象徴的なのが、特定疾患療養管理料の見直しである。従来は慢性疾患患者を定期的に管理する事で月2回まで算定出来たが、24年度に新設された「生活習慣病管理料(Ⅱ)」は月1回迄しか算定出来ない為、従来より実質的に報酬が低下した。

糖尿病や高血圧の患者を多く抱える内科系クリニックでは、算定単価の減少により月間収益が数万円規模で落ち込んだとの報告も有る。結果として、スタッフの給与抑制や診療時間の短縮を余儀なくされた施設も少なくない。

こうした経営圧迫は、単に収益構造の問題に留まらない。開業医は医師であると同時に経営者でもあり、患者数と診療内容がそのまま収入に反映する為、報酬水準の微小な変動が医療の継続性に直結する。近年は設備投資や人員確保が慎重化し、質の向上を目的とした設備投資等も停滞している。

更に問題なのは、こうした構造的な負担が医療従事者の待遇にも波及している点である。医療経済研究機構の調査・分析では、医師・看護師を含む医療従事者の賃金上昇率は他産業に比べて明らかに低く、物価上昇に追い付いていない事が繰り返し指摘されている。その現れとして、現場では士気低下と人材流出が進行しているが、それを補う投資行動は慎重化している上、「報酬改定が医療の質を下げる」という逆転現象さえ起きつつある。診療報酬改定は政策手段である一方、短期の財政調整が先行しがちで、結果として医療機関の経営基盤を蝕み、現場の活力を奪う構造的要因となっているのだ。

“点数×頻度”が招く設計バイアス

診療報酬制度では、薬剤・特定材料やDPC等に一部の例外はあるものの、医療行為を点数化し、その合計に単価(原則1点=10円)を掛けた額が医療機関に報酬として支払われる。一見合理的だが、「点数×実施頻度」で収益が決まる為、「医療行為の頻度を増やす程実入りが増える」構造が生じる。包括化や算定要件の縛りで歯止めは有るものの、運用次第で過剰に見える設計となっている。

レセプト審査を担う医師は「近年、不可解な診療パターンが増加している」と警鐘を鳴らす。診療日数が不自然に多い、同一疾患に対して複数薬剤を重ねる、検査項目を毎回網羅的に実施する——何れも、個々の医師の裁量の範囲内であり、適法ではある。しかし、制度の枠内で医療行為を最大化する運用が重なると、結果として過剰診療に見えてしまう状況を誘発し兼ねない。

象徴的な例が「訪問看護指示書」である。訪問看護や訪問リハビリを実施する際、医師は指示書を交付するが、算定可能期間は1カ月から最長6カ月迄と幅がある。制度上は、全症例を月1回で更新する運用も許容されている。但し、患者の状態が安定しているケースでは更新間隔を2〜6カ月へ可変とする方が医療倫理上は望ましい。それにも拘わらず、一律の月次更新が定着している医療機関も一部に見られ、結果として「訪問看護指示料(300点)」の形式的な頻回算定に傾くリスクが有る。

こうした行為の背景には、医療機関の経営悪化という現実が有る。実質減収の下で、開業医は経営安定化の為“数字の積み上げ”を選択し易い。医師自身が経営者である以上、収益構造の最適化を図るのは自然な流れであるが、患者の利益よりも経営維持を優先せざるを得ない状況が制度によって作り出されている点に問題が有る。

過剰診療は、単に医療費の無駄遣いという財政的問題に留まらない。患者にとっては不要な検査や投薬が身体的・経済的負担を増やし、医療への信頼を損なう要因となる。不要検査や重複投薬等による非効率は、潜在的に大きな損失を生むとされる。従って、この構造が変わらない限り、現場の良心に委ねるだけでは抑制は難しい。制度設計と運用(インセンティブ、手順、指標)の側から是正する基盤が要る。

短期調整の限界と是正への道筋

診療報酬改定の度に医療現場が揺れる背景には、制度そのものが持つ短期的な調整メカニズムの限界がある。2年に1度の改定は、本来、医療技術や社会構造の変化を反映させる為のものだが、実際には財政抑制を目的とした“帳尻合わせ”に終始しているのが現状である。結果として、医療機関の持続性や人材確保という中長期課題が置き去りにされている。

厚労省が示した24年度決算速報では、医療法人全体の事業赤字(医業収支)法人割合は43.0%、経常赤字法人割合は33.8%に達し、とりわけ無床診療所や精神科病院で悪化が目立つとされる。特に地方では、人口減少と高齢化が同時進行し、患者単価の低下が止まらない。にも拘らず、報酬体系は都市部とほぼ同一であり、経営リスクが高まっている。診療科の閉鎖や夜間救急の縮小等、地域の受療距離や待機日数の伸長という形で影響が顕在化している。

この様な状況下で、医療機関は生き残る為の戦略を模索している。規模の拡大や訪問医療へのシフト、自由診療分野への参入など多様な動きが見られるが、その一方で、経営優先の診療行動が強まり易い。過剰な検査や投薬が繰り返されれば、患者負担は増加し、結果的に医療費全体を押し上げるという逆説が生まれる。つまり、制度改定が財政抑制どころか、長期的には医療費増大のトリガーになり得るのである。

更に深刻なのは、若手医師や看護師のモチベーション低下である。報酬抑制が続く中で、医療従事者の賃金上昇率は他産業を大きく下回り、医療職の魅力が低下している。医療の担い手が疲弊し、現場を去る構図が静かに進行している。地方では診療科閉鎖や夜間救急の縮小が相次ぎ、受療距離と待機日数が伸びる事例が増えている。

又、医療政策の意思決定過程にも課題がある。診療報酬改定の議論は中医協(中央社会保険医療協議会)を中心に行われるが、医療現場の実態を反映するには限界が有る。財務省や経済団体など“財政論”が優先され、現場の労働実態や倫理的ジレンマは十分に議論されていない。これでは、医療政策が国民の健康を守る為の仕組みとして機能し難い。

持続可能な医療制度を実現するには、個別の点数調整に留まらず、医療の質の向上、人材の確保・育成、地域間の医療アクセスの是正を一体として捉える構造改革が必要である。政策レベルでは、算定項目や基準の簡素化・標準化を進め、過度な事務負担と恣意性を抑える。現場レベルでは、診療フローの明文化と、頻度・同意・記録等を指標化したKPI運用の定着により、実務を継続的に点検・改善する。この2つの歯車を噛み合わせる事で、「点数×頻度」に偏りが生じ難い設計へ近付き、制度の持続可能性が高まると言えるだろう。

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