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未来の会

第83回 世界目線 「フリーアクセス」とオンライン診療再考 ②

第83回 世界目線 「フリーアクセス」とオンライン診療再考 ②

選択の自由はコストを伴う

「受診する医療機関を自由に選択出来る」ということは、「そのコストは自らが支払う」ということである。例えばCTやMRIの台数は日本が世界一である。台数が少ない英国などとは異なり、日本ではすぐにCTやMRIの撮影が可能だ。これは、日本において数に余裕のあるCTやMRIの設置費用が、間接的にではあるが保険財政から支払われているということでもある。

プライマリ・ケアについても同じで、日本では医師へのアクセスが容易だ。フリーアクセスの是非について議論する際は、「病院や診療所など、どこでも自由に受診出来る」という点と、「すぐに診察や画像検査をしてもらえる」という点が重要である。通常、前者の話になるが、フリーアクセスではない多くの国では、受診までに非常に時間がかかる。

筆者は以前に日本医師会の病院委員会に関与しており、その流れの中で、フリーアクセスの多少の制限に賛同したことを思い出す。これは、いきなり高度な専門知識のある医師(病院)を受診する場合には、追加費用を支払うという考え方である。「自由に選択出来る」すなわち、費用を伴う事なのである。この考え方は現在診療報酬に取り入れられ、広く普及するようになってきている。

例えば開業医をすぐに受診出来ることは、その開業医の時間が空いていたことを意味し、これは開業医の立場からすると生産性が低くなっているということになる。

回転率が高い吉野家は低価格でも成り立ち、高価格のフランス料理店は回転率が低くても成り立っているのと同じ理屈が病院にも当てはまる。選択の幅が広がることは、効率性から考えるとマイナスであり、そういった視点からもアクセス制限が唱えられていると考えて良い。

フリーアクセスなのに満足度が低い理由

「選択出来る」ということは全く悪いことではない。その方が個人の満足度は上がるはずだ。しかし、フリーアクセスの日本では、医療への満足度は必ずしも高くはない。ここで「参照点」という考え方を提示したい。すでに連載で述べてきたように、日本では様々なサービスの提供レベルが非常に高い。そのため、生活者は医療サービスもそのレベル、すなわち高い参照点を設定して自分の満足度を決定してしまう。日本で医療に対する満足度が低い理由の1つは、これではないかと筆者は考えている。

つまり、好きな時に好きな医療機関を選択して受診出来るというフリーアクセスは、専門家から見ると無駄な診療が増える可能性がある。フリーアクセスの利点と問題点について、さらに詳しく見て行こう。

フリーアクセスの問題点と解決策

フリーアクセスは本来は生活者の満足度を上げるためのものであるが、欠点として「効率性」の他にもう1つ、「医療の無駄遣いに繋がる選択ミス」の問題がある。

「情報の非対称性」という言葉があるが、適切な医療機関の選択を患者が出来ないと、無駄が生じる。これは金銭的な無駄であると同時に、状況によっては患者の命を無駄に奪うことにも繋がりかねない話である。しかし、この20年ほどのIT技術の進歩により、患者側の情報は格段に増えてきた。超高齢社会を迎え「治す医療から支える医療」と言われるようになり、医療者側も患者側の選択を支えることの重要性が指摘されている。

このような状況においては、もちろん疾患や場合にもよるが、情報の非対称性が少なくなっていると考えるほうが適切であろう。つまり、患者の主観的な選択が最優先されるべきという考え方である。

とは言え、なんでも選択出来るのかというと、そうではない。この選択を制限するものは金銭だ。値段が高いために選択が出来ないことは、我々が日々経験していることである。

医療においては、命の価値が無限に大きいという日本の価値観のもとでは、金銭面によって受けられる医療に差があることは良くないとされてきた。筆者もこれには賛成である。しかし、それは全ての医療において適合する訳ではなないことに、注意が必要ではないだろうか。ヘルスケア領域、予防領域、介護領域などに医療分野が拡大している今となっては、全てのサービスに金銭的バリアが無いという事はあり得ないであろう。

話を戻すと、金銭の事をあまり顧みずに自由に選択出来るフリーアクセスは、生活者や患者にとっての価値は非常に高い。しかし、全ての医療サービスにその状況を適用出来るほどの予算は日本に無いのではなかろうか。こうなってくるとやはり、「選択が自由に出来る事は価値がある反面、費用を伴うものである」という設定が重要であろう。

問い直される診療の価値

フリーアクセスは、患者にとっての価値が高いということを述べた。頻繁に医療機関を受診する患者がいたとして、その患者は「医療機関に行かない」という選択肢もあるのに、医療機関を受診している訳だから、「患者にとって医療機関通院への価値は高い」という事になる。

ただ、医学的立場や社会保険料を支払っている立場から見ると、その通院は本当に必要なのかという問題になる。ここから言える帰結は、受診の選択については自由だが、費用を追加しても、それだけの価値があるなら受診してもらうという仕組みにする事であろう。もっと言えば、通院してきた患者に対して医学的に必要が無ければ話を聞くだけでもいいかも知れない。

実はこういった考え方は、筆者独自の突拍子もない意見ではなく、ドイツなどの国では、定められた以上の診察に関しては付加的な費用を支払ってもらうような仕組みになっている。

ここまで考察してくると、現行の診療報酬体系の問題点が浮き彫りになる。すなわち、現行の診療報酬体系では、「患者の話を聞くだけでは多くの収入にならない」という事である。しかし、医学的に必要が無いのに無理に薬を出す必要は無い。患者の話を聞きアドバイスをすればいいわけで、それこそがかかりつけ医の価値ではなかろうか。逆に言えば、患者は病院に薬などの「もの」をもらうために来るわけではないのだから、医師のアドバイスへの信頼感こそがかかりつけ医の価値ということになる。

 とかく「アドバイスをする」ということよりも、「もの」の提供については、価値を高く見出しがちである。ただ、ここに黒船が来つつある。薬などの「もの」の提供のみであれば、近い将来に来るであろうオンライン、すなわち E コマースの流れに棹さすことは出来ないかもしれない。対面診療の価値、あるいは、オンラインであっても、真に信頼感のある医師による診療の価値が、今こそ問い直される時期ではないだろうか。

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