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未来の会

第196回 患者のキモチ医師のココロ
『選択の科学』に学ぶ医師と患者の心模様

第196回 患者のキモチ医師のココロ『選択の科学』に学ぶ医師と患者の心模様

 心理学者シーナ・アイエンガーの『選択の科学』(文藝春秋)という本を読んだ。
  言うまでもなく、医療現場では医師も患者も選択に次ぐ選択を行い、日々過ごしている。選択ミスは命の危機にも直結する。「科学の力」でより正しい選択を行うことができるのだろうか。今回はこの本から学んだことを紹介してみたい。
 著者はインド系アメリカ人の社会心理学者で、幼い頃に遺伝性の病気で視力を失いながらも研究を続け、コロンビア大学ビジネススクールで教鞭を執る女性だ。“選択とは何か”をテーマとしたTEDトークは何百万回も視聴され、2010年に邦訳が出た『選択の科学』は、世界中でベストセラーとなった。
 本書の柱となるテーマは明確だ。すなわち、「人は自由を愛しているはずなのに、選択肢が増えるほど不幸になるのはなぜか」。

「情報をどう提示するか」が選択の鍵

 本書で著者のアイエンガーが繰り返し述べるのは、「人の選択は、“情報そのもの”ではなく、“提示のされ方”によって左右される」という事実である。
 たとえば、患者に手術を受けるかどうかの選択肢を提示するときのことを考えよう。ここでは患者側の立場になって想像してみてほしい。医師が次のような説明をしたとき、あなたはどちらの方がより「じゃあやってみよう」という気になり、手術を選択するだろうか。
① この手術は成功率80%です
② この手術を受けても20%は改善しません 
 おそらく多くの人が「①なら手術を選択するが、②ならためらう」と答えるのではないか。これを心理学では「フレーミング効果」と呼ぶ。両者は同じ内容を意味していても、前者はポジティブに、後者はネガティブに受け取られる。
 人間は損失を避ける傾向(損失回避)があるため、損失に焦点を当てた表現に否定的に反応してしまいがちなのだ。
 逆に、これを経験的に知っている医師は、「患者に積極的に手術を受けさせたいときは①の言い方、あまり手術を受けさせたくないときは②の言い方」と使い分けてしまうかもしれない。
 このようにどんなに中立的、客観的、公正であろうとしても、私たち医師の言葉には、価値観や経験、無意識のバイアスがわずかに滲んでしまうものなのである。
 もし、「この手術を受けさせるのは気が進まない」と感じている医師が、②の言い方を使ってインフォームドコンセントを行ったとしよう。患者は、「手術を受けても効果がない場合が20%もあるのか。だとしたら痛い思いはしたくない」と手術を選択しなかった。その後、不幸にして患者の具合は悪化し、結局は不帰の人となった。
 こういう場合、医師は当然、「自分は事実をきちんと説明した。手術を選ばなかったのは患者本人だ」と思い、自分を正当化する。しかし、心の中では「患者が手術を選ばなかったのではなく、自分が選ばせなかったのでは」という違和感も覚える。
 この違和感を、心理学では「認知的不協和」と呼ぶ。「自分の選択」と「本心の価値観」が矛盾したときに生じる不快感のことだ。この認知的不協和に対しても、人はなんとか抵抗しようとする。「いや、あの場合は自分の説明でよかったのだ。成功率ではなくて手術が功を奏しない確率を告げることこそが、誠実な医師の態度だ」などとなんとか自分の選択に「理由づけ」を行おうとする。
 あるいは、周囲の同僚に「こういう場合、君ならどう患者に伝える? 成功率だけを喧伝するのはおかしな期待を抱かせることになると思わない?」と意見を求めることもあるかもしれない。とはいえ、この聞き方も十分に誘導的で、常識的な同僚なら事態を察して「そうだね。自分でも“20%は効果なし”と言うんじゃないかな」と答えてくれるだろう。そこで医師は「やっぱりあの言い方でよかったんだ」と選択を肯定することができ、心に刺さったトゲのような認知的不協和は薄らぐ。
 ここで多くの読者は気づくだろう。大事なのは、「正しい選択」や「正しい選択肢の提示」に近づけることではなくて、フレーミング効果や認知的不協和など人間はさまざまな心のメカニズムにとらわれていることをまず知るということだ。
 もっと言うなら、「絶対に正しい選択や選択肢の提示などない」と自覚することからしか始まらない、と言ってもよいかもしれない。
 本書の中に、介護をしていた母親の治療について厳しい選択を迫られ、悩んでいた患者の家族のつぶやきが紹介されている。そこから引用させてもらおう。
 「治療をどうするか何年も悩んでいたある日、突然はっと気がついたの。母は、わたしが何をやってもやらなくても、いつかは亡くなるってことに。(中略)そのおかげで、一緒に暮らした最後の数年間は、質の高い生活を二人で送ることだけを考えることができたのよ」
 つまり、「正しい選択」よりも価値が高い何かがあるかもしれない、ということだ。アイエンガーは言う。

 「もしかしたら、わたしたちはみな、完璧になろうと頑張りすぎずに、愛する者たちとともに過ごす喜びに、もっと目を向けるべきなのかもしれない」

より良いコミュニケーションに向けての3カ条

 もちろん、「これは家族側のことであって、それでもわれわれ医師は患者や家族がなるべく“正しい選択”をしてもらえるよう、努力を怠ってはならない」という意見もあるだろう。それを踏まえて本書が示唆する「医師と患者のコミュニケーションのあり方」を次の3項目にまとめてみよう。

①話の内容と同じくらい言い方、伝え方を大切にし、丁寧に選ぶこと
 →情報の質や量より、提示の仕方が患者の安心感を左右し、「正しい選択」に近づけることができる。
②患者や家族に「これは自分で選んだ」という主体性の手ごたえを持ってもらうこと
 →患者や家族の側が「無理やりやらされているのではない、私が選んだのだ」という主体感があると認知的不協和が減り、治療継続率や治療効果も高まる。
③医師自身の認知的不協和に気づき、それを手放す勇気を持つこと
 →長年の経験で形成されたプロフェッショナルの知を大切にしつつ、患者の人生の文脈に合わせ治療を調整できる柔軟さを忘れない。
 とくに医療の現場は、患者側の選択の少ない時代、医師の言うことが絶対であった時代から、医療を受ける側に選択肢が無限に与えられ、決められる時代へと移行しつつある。
 患者や家族は、ネットにあふれる膨大な情報や場合によっては学術論文にも容易にアクセスし、さまざまな選択肢の中から「自分はどれを選ぶべきか」と常に岐路に立たされながら医療を受けている。迷い、揺れ、自分の選択にそのつど「これでよかったんだ」と意味づけをしている患者の心の動きを知ること。そして実は自分の心の中にも、同じような迷い、揺れ、さらには選択を正当化する動きがあると認識すること。本書が私たち医師に教えてくれることは少なくない。ご一読をおすすめする。

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