
榊原記念病院(東京都府中市)は、高齢化に伴って増加する心不全や心筋梗塞を始め、小児の先天性心疾患や心疾患を有する女性の分娩に至る迄、循環器に特化した高度医療を提供している。2024年に東京都の「脳卒中・心臓病等総合支援センター」の構成病院の1つとして採択され、地域循環器診療の中核として患者支援に取り組む。循環器疾患と心臓移植の専門家であり、同院院長の磯部光章氏に、病院の特長と国内の循環器領域・臓器移植に於ける現状と課題について伺った。
——ご経歴の中で、臓器移植が先生の中心的テーマとなっていった経緯についてお聞かせ下さい。
磯部 全ては1987年、東京大学医学部第3内科から米国ハーバード大学マサチューセッツ総合病院心臓内科への留学から始まりました。当時、日本では未だ心臓移植が行われておらず、私は心筋梗塞治療の研究を目的に渡米しました。しかし、与えられたテーマは心臓移植後の拒絶反応を画像診断する研究でした。それには先ずマウスに心臓移植を施す必要が有り、小さな心臓と格闘して4カ月目に漸くモデルマウスを完成させました。更にシンチグラフィーを用いた急性拒絶反応の診断技術を開発し、特許も取得しました。日本に戻った際に、当時の第3内科の矢﨑義雄教授の計らいで免疫学の大家である順天堂大学の奥村康教授を訪ねると、マウスの心臓移植が出来る事に大変驚かれ、移植時の免疫応答を調べる為の抗体産生細胞を分けて頂ける事になりました。この抗体を移植直後のマウスに注射すると全例で拒絶反応が完全に抑制され、免疫学の大発見として、世界的に報じられました。帰国後は信州大学で移植免疫の研究を続け、東京医科歯科大学(現・東京科学大学)では心臓移植を待つ間の「繋ぎ」として体外式補助人工心臓植え込み患者の長期的ケアに取り組みました。こうした経緯から、日本循環器学会の心臓移植委員会で委員長を務め、厚生労働省の臓器移植委員会の委員長も務める事となり、臓器移植はすっかり私のライフワークになりました。その一方で、臨床現場に直結する課題にも目を向け、実践的な教育法の開発や、心不全、心筋症、動脈硬化、血管炎等の研究にも取り組みました。
患者満足度を指標とした組織改革で経営が回復
——2017年の院長就任時、貴院が抱えていた主な課題と、それに対する取り組みについてお伺いします。
磯部 当院は、循環器専門病院として長い歴史と伝統が有ります。その為職員の志は高く、技術的にも優れた医師が揃っていました。チーム医療には非常に熱心な一方で、各々の専門性や診療法が確立しており、組織全体でより良い医療を形にするには多くの課題も有りました。経営難は明らかでしたが、先ず必要だと感じたのは職員の意識改革でした。私自身、当時は経営の知識には乏しく、医療経営のセミナーに参加したり、経営戦略本を読み漁ったり、経営コンサルタントに相談する等して勉強しました。しかし2〜3年で、それらは必ずしも本質的な解決策にならない事に気付きました。何故なら、外部の経営の専門家の主眼は「如何に収益性を向上させるか」に在り、我々の目標は「診療の質を高める為の経営の安定」だったからです。そこで、病院改革の目的を改めて職員と共有し、モチベーションを高める為、全体的な給与水準を見直すと共に、経営状況に応じた賞与の調整も行いました。これにより、以前は30%だった看護師の年間離職率を15%に迄減らす事が出来ました。
——診療の質の向上に向けて取り組まれてきた施策と成果はどの様なものでしたか。
磯部 先ず「診療の質とは何か」という点から職員全員で議論を重ねました。そして、最先端の心臓血管病診療を安全に提供する事は当然として、究極的には患者さんに満足して頂けるかどうかが本質である、という結論に達しました。病は常に完治出来る訳ではなく、後遺症を伴う場合も有る。そうした現実を踏まえた上で、我々は患者満足度を高める事を目標に定め、日本医療機能評価機構の患者満足度調査の結果も指標としてきました。受審を開始して以来、職員の努力によって例年高い評価を頂き、特に入院患者を対象とした総合評価では受審機関の中で最も高い点数を記録しています。「(この病院を)親しい人にも勧めようと思いますか」という質問でも、「勧める」という回答が圧倒的多数でした。順位は非公表ですが、重要なのは他施設との上下を競う事ではなく、自院の課題と経年的な推移を把握し、改善に役立てていく事だと考えています。私自身、患者さんから寄せられた声には必ず目を通し、改善の余地が有れば直ちに対応を指示しています。
——患者満足度向上の為の具体策は?
磯部 患者満足度調査では、外来の待ち時間と食事の味が全国的に共通する課題であり、当院でも評価が相対的に低い項目でした。外来の待ち時間については、受付から診療、会計に至る迄の業務フローを詳細に調査解析し、ペーパーレスの推進やデータ移行の効率化、電子カルテの使い方の見直し等を積み重ねた結果、初診の受付から会計終了迄の全体時間をほぼ半減させる事が出来ました。食事については、心疾患患者に「1日6グラム未満」という塩分制限が課される為、味付けが難しい面が有ります。そこで、塩味を補う工夫を凝らすと共に、食事のトレーに「これがあなたの健康にとって良い食事です」というメッセージを添える事を私から提案し、治療食・健康食である事を理解して頂ける様にしました。
——組織全体で力を合わせる医療を実現する為に、院長としてどの様な意識改革を進めてこられましたか。
磯部 対話を大切にしている事と情報のボトムアップ、リーダーシップに基づく実行が私の目指すところです。医師も看護師も患者への声掛けを積極的に行い、上から目線で接する事は有りません。こうした姿勢が、診療への信頼や納得に繋がっているのだと思います。職員間の対話も同様です。私自身、各部署を巡回して問題点の抽出や意見を吸い上げ、部署間で利害が異なる場合にはトップダウンで決断する様にしています。情報共有も重視しており、5年前から院内情報誌『心をつなぐ』を毎月発行し、院内アプリを通じて各自のスマホに配信しています。経営状況や診療件数、業績等を約20ページに纏めて職員と共有し、又、院長室の敷居を低くする事で相談し易い環境を整えています。こうした取り組みが、結果的に患者の満足度にも繋がっているのだと思います。
——組織改革は収入の安定化にどう繋がりましたか。
磯部 収入を増やすには診療件数の増加が不可欠です。その為、着任から5年間で医師数を25%増員しました。又、当院は入院単価が1日当たり約18万円と比較的高く、1床増えるだけでも大きな収入になります。そこで、毎朝のベッドコントロール会議をルーチン化し、院長・副院長、病棟と部門の責任者が全員で稼働病床の確認や病床の調整を行う事で病床稼働率を向上させました。新設した入退院支援センターも重要な役割を担いました。広報戦略にも力を入れ、病院の魅力を積極的にアピールしました。こうした積み重ねにより、診療件数が右肩上がりに増加しました。職員の処遇改善、患者満足度の向上、診療件数の増加という一連の取り組みが、結果として収入の安定に結び付いたのです。通常、企業ではリストラで人件費を削減しますが、私達は逆に人材を増やす道を選びました。当座は負担増であっても、やがて優れた人材が集まり、長期的には収益も増加していく。そうした好循環が生まれたのです。



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