
「反安倍」の歴史的使命を果たす覚悟も準備も無く
石破茂首相は何処で間違えたのだろうか。昨年10月の衆院選に続いて今年7月の参院選でも与党過半数割れに追い込まれ、石破政権は発足から1年足らずで虫の息。本稿執筆時点で定かな見通しは立たないが、9月に自民党総裁選が行われ、秋の臨時国会は別の首相の下で開かれる可能性が高まっている。その新首相に自民党の新総裁が就任出来るかどうかも分からない混沌の中にある。
「自民党はあるべき国民政党として生まれ変わらなければならない」。これは昨年の衆院選後、少数与党政権とした再スタートを切った際の記者会見で石破首相が強調したフレーズである。「国民政党」とは、特定の業界団体や支持組織ではなく国民全体の利益を代表する政党という意味だろう。政党を名乗るからには国民全体の利益を考えるのは当然だが、戦後55年体制下、労働者の利益を追求しようとした社会党に対抗する意味合いで使われた古い政治用語だ。
「国民政党」に生まれ変われない自民党の宿痾
石破首相がこれを好んで使うのは、昭和の庶民派宰相、田中角栄元首相を政治の師と仰ぐ政治家としての原点からだけではない。国民を敵と味方に分断するトランプ的政治手法で保守層の支持を固めた安倍晋三元首相の「1強」時代にあって、「反安倍」の主張を続けた石破氏の政治信条が「自民党は国民政党であらねばならない」だったからだ。
しかし、自民党が国民政党として生まれ変わる為に何をするか、が準備されていなかった。「反安倍」を売りにしてきた石破首相に託された歴史的使命は大きく分けて2つ。経済面では、国力の衰退を止められなかったアベノミクスの10年からの脱却。そして、政治面では有権者の2〜3割に過ぎない岩盤支持層に寄り掛かった自民党に対する不信感の払拭だったと筆者は考えるが、石破首相は何れの使命も果たせぬまま退陣に追い込まれようとしている。
アベノミクスとは何だったのか。冷戦後のグローバル化に日本の産業界は生産拠点の海外移転で対応する一方、新規の産業分野への人材・資本の移転に乗り遅れ、少子高齢化の進展も相俟って国力の相対的な低下が進んだのが、1990年代後半から続いたデフレの20年。それに歯止めを掛けようとしたのがアベノミクスだったが、大規模な金融緩和と積極財政は日本経済の一時的なカンフル剤にはなっても、その効果が有る内に産業構造の転換や労働力の移転へ向けた手を打たなければ、後に残るのは円安と公的債務の山。対ドルで円の価値が大幅に下がり、日本経済は相対的に縮小傾向にあるにも拘らず、見せ掛けの国内総生産(GDP)が増えたとアピールし続けたのがアベノミクスの10年だった。
その行き着いた先が現在の物価高である。世界的な物価の上昇傾向には、ロシアのウクライナ侵攻や中東情勢の不安定化、気候変動による農産物の不作等、複合的な要因が挙げられるが、日本の円はアベノミクスの長期化に伴い、2012年の1ドル=80円程度から昨年は一時150円台に迄下落した。円の価値が下がれば円建ての物価が上がり、国民の購買力が下がるのは必然。庶民が物価高に苦しんでいるからと言って、政治が減税や現金給付に動けば、短期的に国民生活の助けになっても、日本の経済規模が変わらなければ円の価値は更に毀損され、そのツケは更なる物価高や増税、社会保障等の行政サービス削減という形で国民が払う事になる。
石破首相は安倍政権時代、一時的なカンフル剤としてのアベノミクスは評価しつつ、経済格差の固定化を懸念し、地方創生を起爆剤とした日本経済の再生を訴えてきた。安倍氏のアベノミクスに石破氏が地方創生の主張で対抗して敗れた18年の自民党総裁選から6年を経た。昨年の総裁選で、石破氏が掲げた「地方創生2・0」に新味は乏しく、経済政策に於ける石破氏の準備不足は明らかだった。
「政界再編で起死回生」の夢想も空しく
石破首相就任直後の衆院選では、「手取りを増やす」をキャッチフレーズに掲げた国民民主党が躍進。自民・公明連立政権の既得権益層から長らく外されてきた中間層に「所得税減税」の訴えが刺さり、減税ポピュリズムのうねりは今年の参院選で更に増幅された。石破氏率いる自民党が「国民政党」としての責任を果たすなら、税と社会保険料を負担する意義を説き、国民各層から理解を得なければならない。参院選で躍進した参政党や国民民主党の主張する消費税減税や財政出動を実施すれば、日本の円は国際的な信任を失い、ハイパーインフレに繋がる危険が有るのだと。しかし、その政府・与党がアベノミクスの隘路から脱する出口を見付けられず、現在の物価高を招いた失政の総括が出来ていないのだから、「消費税は社会保障の財源だ」と幾ら正論を叫んでも聞く耳を持ってもらえない。
「森友学園」「加計学園」「桜を見る会」——。アベノミクスが、経済の停滞を見せ掛けのGDPで糊塗するツールと化した第2次安倍政権の後半は、安倍氏のお友達や後援者を優遇する不祥事が相次いだ。政治不信の蔓延は国政選挙の低投票率を慢性化させ、有権者の半数しか投票しない選挙で、その半数、つまり有権者の4分の1の支持を得る事によって常勝を誇ったのが安倍1強の実態だった。旧安倍派の議員を中心に、外国に本拠を置く宗教団体との癒着や派閥パーティーの裏金問題も明るみに出るに及んで、自浄能力無き与党が、岩盤に思われた4分の1の支持を失った結果が衆院選と参院選の敗北だ。
石破首相に罪が有るとすれば、昨年9月の自民党総裁選で公約した「勇気と真心をもって真実を語る、謙虚で、誠実で、温かく実行力のある自民党」に生まれ変わる機会を逸し、政治改革にも党改革にも指導力を発揮出来なかった事だ。旧安倍派を中心とした「裏金議員」や、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)と癒着していた「自称保守派」の面々が声高に叫ぶ「石破降ろし」の大合唱は、破滅の坂を転がり落ちる自民党の断末魔の如く響く。
昨年の衆院選後、石破首相が自民党内の「裏金議員」を一掃し、既得権益に縛られない「国民政党」に生まれ変わった証しとして企業・団体献金の禁止や国会議員定数の削減を断行する政治改革を野党に呼び掛けていたら——。アベノミクスの出口戦略を描く力が与党に無い事を認めて一旦政権を返上し、日本経済の再生に政治全体で責任を負う大連立を主要な野党(立憲民主党、国民民主党、日本維新の会)に呼び掛けていたら——。「自称保守派」が阻んで来た選択的夫婦別姓制度の導入に踏み切り、女性の社会進出と少子高齢化対策に本気で取り組むリベラル路線に舵を切っていたら——。既得権益にしがみ付く自民党農政の失策をもっと早く認め、コメの増産と農業の大規模化に取り組んでいたら——。
死んだ子の年を数える様に「タラレバ」を列挙してみて気が付いた。何れも石破首相がその気になればこれからでも出来ない事は無いのではないか。石破首相は参院選投票翌日の記者会見で「赤心奉国の思いで国政に当たりたい」と述べて続投を表明した。「赤心奉国」とは、私心を捨てて国の為に尽くす事。自民党の分裂覚悟で日本政治の大改革を訴え、野党を巻き込んだ政界再編を目指せば良い。念願成就の暁には真の「国民政党」が誕生していよう。
そんな夢想も此処迄か——。石破首相にその様な覚悟も準備も無かった結果が参院選の敗北であり、現実の政局の焦点は「ポスト石破」に移っている。
自民党は4分の1の岩盤支持を失っても尚、小さなコップの中の権力闘争に狂奔し、その間も我が国は国力の衰退と政治の劣化で沈みゆく。石破首相は、極右ポピュリズムの台頭を許した失政の責任者として日本政治史に汚名を刻む事になる。
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