
「医師の働き方改革」が実施されてから1年。
4月2日付の北海道新聞には、「地方勤務医 過重労働なお」という見出しの記事が掲載された。とくに慢性的な人手不足にあえぐ地方の医療機関では、現在も医師の長時間労働が続いていることがリポートされている。
また3月末には、大阪労働局が医療法人徳洲会に医師の長時間労働の是正を図るように指導した、というニュースが報じられた。同法人の傘下にある複数の病院で長時間労働が認められ、中には時間外・休日労働が213時間に及ぶケースもあったという。
私は、行政からへき地診療所に指定されている北海道の国保診療所に勤務している。ここではふたりの常勤医のバーンアウト(燃え尽き)を防ぐために、週末の日当直は可能な限り都市部の出張医で埋める体制が整えられている。計算上の労働時間はさほど多くはないそれでも「地域医療にはかわりがいない」という現実を日々、突きつけられている。
たとえば、平日は所長と私とで交代で当直にあたることになっており、病棟や救急外来が落ち着いていれば宿舎で睡眠は取れるが、呼び出しがまったくないわけではない。私自身、前期高齢者の年齢に近づいており、夜中に急患に対応した翌日はそれなりにしんどい。ここは過疎地なので、足りないものがあれば60km離れた都市部に買いに行かなければならないのだが、当直があるときは狭いこの地区を出ることはできない。もちろん“当直明け”といった仕組みはない。
「65歳になったら当直をはずれたい」と言いたい気持ちもあるが、都市圏から遠く離れた“陸の孤島”にある当地に平日の当直に来てくれる医者はいないだろう。また、患者も「夜間は先生がいないなら今日は別の医療機関に行こう」というわけにはいかない。救急車の搬送も同じだ。広大な土地に市町村が点在している北海道では、多くの医師が「ほかには医療機関がない。自分のかわりもいない」と思いながら、年齢や自身の体調に関係なく長時間労働や高負荷の労働を引き受けているのだ。
芥川賞作家の過酷な医療現場小説
2024年に第171回芥川賞を受賞した作家の朝比奈秋さんは、現役の消化器内科医だ。作品にはその経験や医学的知識が反映されたものも多いが、このほど上梓された『受け手のない祈り』(新潮社)は、救急を受け入れる病院で働く若い外科医・公河が主人公のストレートな医療小説だ。今日も夜中まで働きながら、公河は思う。
「朝の六時半から休みなく働いた疲れがどっと出てくる。先月の残業時間は100時間を超えた。最後の休日は何カ月前か思い出せない。」
しかしそれはまだ“序の口”で、地域の病院が救急医療から撤退すると、それまでの3倍量の急患が搬送されて来るようになった。状況は一気に過酷さを増す。
「患者の大波に削られるゆえに、この病院からも一人、また一人と医者が辞めていった。この2年半で、外科医は浜中含めて6人が去っていった。年が明けてから、受け持ち患者は一人につき常時50人を超え、当直は2日に1度のペースで回ってきて、週に3夜しか寝られなかった。2日目は必ず原因不明の微熱が背骨に生じた。
残業時間は月300時間を超えていた。そのあたりから、毎日血尿が出た。」
まるで太平洋戦争の南方戦線で、飢えや病の中、悲惨な戦いを強いられる日本兵のようだ。実際に同じような激務についていた同級生の女性婦人科医は、病院の当直室のシャワー室で突然死を遂げる。同僚も院内で倒れる。食事をとる時間も満足に確保できなくなった公河医師は、手術の合い間に患者用の補助食品のプリンを口にほうり込み、点滴バッグに注射針を刺して口から吸い上げて水分や糖分を体に入れる。
そんな生活を続ける医師の脳裏に、こんな疑問が浮かんでくるのは当然なのではないだろうか。
「命は本当に一番大事なのだろうか——
自分の命1つでより多くの命が助かるから寝ずに働けている。しかし、千の命よりも大切な、私の何かが踏みにじられている。そう感じてしまうとき、この疑問が湧きでてしまうのだった。」
過労状態では良い医療は提供できない
私は介護や看護、心理の現場で支援職や援助職につく人たちへの講演を頼まれる機会もあるのだが、そんなときには必ず、「まず自分を大切に」と言ってこう伝える。
「少しでも体を休め、自分と家族の時間を確保し、心にうるおいを保っていなければ、ユーザーやクライアントを助けたりサポートしたりはできないのです。」
しかし、そう話しながら私の脳裏にはいつも、「私自身はそうできていただろうか?いまはそうできているだろうか?」という疑問が浮かぶ。精神科の単科病院に勤務していたときは、当直に入れる医師が相次いで体調を崩し、数カ月であったが、ほとんどひとりで当直を担当していたことがあった。まったく寝られない日は少なく当直室で仮眠は取れたが、自宅に帰れるのは週に1回あるかないかとなった。院内が落ち着いているときは携帯電話を持って駅前の小さな商店街に行くことはできたが、友人や親族に会う機会は激減した。いま思い返すと、当時は疲れた体と追い詰められた心理状態で日々の診療をこなすのが精いっぱいで、とても“良い医療、きめ細やかな医療”を行えていたとは言えない。
「ではどうすればよいのか」という議論はいつも堂々巡りになる。『受け手のいない祈り』では、同僚が次々に辞める中、「目の前の患者の命を救いたい」という倫理を有している公河医師らが取り残され、命の危険を覚えるほどの激務を続けることになる。「じゃ辞めればいいだけなのに」と言う人もいるかもしれないが、「こんなに医者が少ない中、自分が去ったらこの地域の医療を担う人がいなくなる」と思う人間性がそれを阻んでいる。
「患者のことなど気にしていられない」「まだ子どもも小さいのにここで倒れたらマズい」と自己中心的に考える医師は逃げられ、「患者を救いたい」という医師は逃げられない。そんな状況が全国どこでも起きているはずだが、それを見て見ぬふりをしてすませてよいはずはない。
たとえば、こんなことはできないだろうか。災害が起きたときに出動するDMATやJMATのような組織を編成し、公立・民間にかかわらず全国の地域医療の最前線で激務を続けている医師がいる病院に臨時で人員を派遣する。その間、その病院の常勤医は1カ月単位など、長期の休暇を取得させる。その費用は誰が持つか、もし公的にカバーするなら財源はどこから、といった問題はあるが、「とにかく国単位で地域医療を支える」という体制を作れない限り、過労死する医師やそれを怖れて激務の医療機関から去る医師は後を絶たないだろう。
『受け手のいない祈り』は、発売直後からメディアでも大きな話題となっているようだ。医療従事者にとっては読んでつらくなるような内容だとは思うが、ぜひ手に取ってほしい。そして、「地域医療をどう支えるか、一部の医師への負担をどう解消するか」をおおいに議論してほしいと思う。
「医師の働き方改革」が実施されてから1年。
4月2日付の北海道新聞には、「地方勤務医 過重労働なお」という見出しの記事が掲載された。とくに慢性的な人手不足にあえぐ地方の医療機関では、現在も医師の長時間労働が続いていることがリポートされている。
また3月末には、大阪労働局が医療法人徳洲会に医師の長時間労働の是正を図るように指導した、というニュースが報じられた。同法人の傘下にある複数の病院で長時間労働が認められ、中には時間外・休日労働が213時間に及ぶケースもあったという。
私は、行政からへき地診療所に指定されている北海道の国保診療所に勤務している。ここではふたりの常勤医のバーンアウト(燃え尽き)を防ぐために、週末の日当直は可能な限り都市部の出張医で埋める体制が整えられている。計算上の労働時間はさほど多くはないそれでも「地域医療にはかわりがいない」という現実を日々、突きつけられている。
たとえば、平日は所長と私とで交代で当直にあたることになっており、病棟や救急外来が落ち着いていれば宿舎で睡眠は取れるが、呼び出しがまったくないわけではない。私自身、前期高齢者の年齢に近づいており、夜中に急患に対応した翌日はそれなりにしんどい。ここは過疎地なので、足りないものがあれば60km離れた都市部に買いに行かなければならないのだが、当直があるときは狭いこの地区を出ることはできない。もちろん“当直明け”といった仕組みはない。
「65歳になったら当直をはずれたい」と言いたい気持ちもあるが、都市圏から遠く離れた“陸の孤島”にある当地に平日の当直に来てくれる医者はいないだろう。また、患者も「夜間は先生がいないなら今日は別の医療機関に行こう」というわけにはいかない。救急車の搬送も同じだ。広大な土地に市町村が点在している北海道では、多くの医師が「ほかには医療機関がない。自分のかわりもいない」と思いながら、年齢や自身の体調に関係なく長時間労働や高負荷の労働を引き受けているのだ。
芥川賞作家の過酷な医療現場小説
2024年に第171回芥川賞を受賞した作家の朝比奈秋さんは、現役の消化器内科医だ。作品にはその経験や医学的知識が反映されたものも多いが、このほど上梓された『受け手のない祈り』(新潮社)は、救急を受け入れる病院で働く若い外科医・公河が主人公のストレートな医療小説だ。今日も夜中まで働きながら、公河は思う。
「朝の六時半から休みなく働いた疲れがどっと出てくる。先月の残業時間は100時間を超えた。最後の休日は何カ月前か思い出せない。」
しかしそれはまだ“序の口”で、地域の病院が救急医療から撤退すると、それまでの3倍量の急患が搬送されて来るようになった。状況は一気に過酷さを増す。
「患者の大波に削られるゆえに、この病院からも一人、また一人と医者が辞めていった。この2年半で、外科医は浜中含めて6人が去っていった。年が明けてから、受け持ち患者は一人につき常時50人を超え、当直は2日に1度のペースで回ってきて、週に3夜しか寝られなかった。2日目は必ず原因不明の微熱が背骨に生じた。
残業時間は月300時間を超えていた。そのあたりから、毎日血尿が出た。」
まるで太平洋戦争の南方戦線で、飢えや病の中、悲惨な戦いを強いられる日本兵のようだ。実際に同じような激務についていた同級生の女性婦人科医は、病院の当直室のシャワー室で突然死を遂げる。同僚も院内で倒れる。食事をとる時間も満足に確保できなくなった公河医師は、手術の合い間に患者用の補助食品のプリンを口にほうり込み、点滴バッグに注射針を刺して口から吸い上げて水分や糖分を体に入れる。
そんな生活を続ける医師の脳裏に、こんな疑問が浮かんでくるのは当然なのではないだろうか。
「命は本当に一番大事なのだろうか——
自分の命1つでより多くの命が助かるから寝ずに働けている。しかし、千の命よりも大切な、私の何かが踏みにじられている。そう感じてしまうとき、この疑問が湧きでてしまうのだった。」
過労状態では良い医療は提供できない
私は介護や看護、心理の現場で支援職や援助職につく人たちへの講演を頼まれる機会もあるのだが、そんなときには必ず、「まず自分を大切に」と言ってこう伝える。
「少しでも体を休め、自分と家族の時間を確保し、心にうるおいを保っていなければ、ユーザーやクライアントを助けたりサポートしたりはできないのです。」
しかし、そう話しながら私の脳裏にはいつも、「私自身はそうできていただろうか?いまはそうできているだろうか?」という疑問が浮かぶ。精神科の単科病院に勤務していたときは、当直に入れる医師が相次いで体調を崩し、数カ月であったが、ほとんどひとりで当直を担当していたことがあった。まったく寝られない日は少なく当直室で仮眠は取れたが、自宅に帰れるのは週に1回あるかないかとなった。院内が落ち着いているときは携帯電話を持って駅前の小さな商店街に行くことはできたが、友人や親族に会う機会は激減した。いま思い返すと、当時は疲れた体と追い詰められた心理状態で日々の診療をこなすのが精いっぱいで、とても“良い医療、きめ細やかな医療”を行えていたとは言えない。
「ではどうすればよいのか」という議論はいつも堂々巡りになる。『受け手のいない祈り』では、同僚が次々に辞める中、「目の前の患者の命を救いたい」という倫理を有している公河医師らが取り残され、命の危険を覚えるほどの激務を続けることになる。「じゃ辞めればいいだけなのに」と言う人もいるかもしれないが、「こんなに医者が少ない中、自分が去ったらこの地域の医療を担う人がいなくなる」と思う人間性がそれを阻んでいる。
「患者のことなど気にしていられない」「まだ子どもも小さいのにここで倒れたらマズい」と自己中心的に考える医師は逃げられ、「患者を救いたい」という医師は逃げられない。そんな状況が全国どこでも起きているはずだが、それを見て見ぬふりをしてすませてよいはずはない。
たとえば、こんなことはできないだろうか。災害が起きたときに出動するDMATやJMATのような組織を編成し、公立・民間にかかわらず全国の地域医療の最前線で激務を続けている医師がいる病院に臨時で人員を派遣する。その間、その病院の常勤医は1カ月単位など、長期の休暇を取得させる。その費用は誰が持つか、もし公的にカバーするなら財源はどこから、といった問題はあるが、「とにかく国単位で地域医療を支える」という体制を作れない限り、過労死する医師やそれを怖れて激務の医療機関から去る医師は後を絶たないだろう。
『受け手のいない祈り』は、発売直後からメディアでも大きな話題となっているようだ。医療従事者にとっては読んでつらくなるような内容だとは思うが、ぜひ手に取ってほしい。そして、「地域医療をどう支えるか、一部の医師への負担をどう解消するか」をおおいに議論してほしいと思う。
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