
日本郵政グループの東京逓信病院は2007年の郵政民営化以降、企業立病院として緩和ケア病棟や地域包括ケア病棟の開設、東京都がん診療連携拠点病院の指定取得等、新たな展開を見せて来た。23年に病院長に就任した山岨達也氏は、東京大学耳鼻咽喉科学教室にて難聴の発症機構の解明や治療法を開発すると共に、頭頸部外科医としての豊富な手術実績を誇る。同病院の最新の取り組みと今後の展望に加え、これ迄の自身の研究成果について話を伺った。
——耳鼻咽喉科を専門とされた理由をお教え下さい。
山岨 学生時代は体力に自信が有り、外科系に進もうと考えていましたが、一般の外科以外を専門にしたいと思い、直前まで心臓外科と悩んで最終的に耳鼻咽喉科を選択しました。未だCTも無く殆どが臨床診断の時代でしたが、早い段階から顕微鏡下手術が開始され、若い内から手術の腕を磨けるという謳い文句に魅力を感じました。
難病の発症メカニズム解明により治療を可能に
——感音難聴の発症メカニズムの解明や治療法の開発に長年取り組まれて来ました。これ迄の研究の成果についてお聞かせ下さい。
山岨 当時の耳鼻科は未だ発展途上で、手術も聴力を戻すというより炎症を取り除く事の方が主体でした。その後、手術は大きく進歩しましたが、感音難聴に関しては長年原因が解明されないままでした。この疾患に着目したのは、1990年頃に、東北大学の内科にいらっしゃる岡芳知先生らと共に感音難聴を併発した糖尿病患者さんを診る機会が有り、その患者さんを治したいと思ったのが始まりです。元々、内耳の分子生物学には興味が有り、音響外傷に関わる血流の研究をしたいと考えていました。音響外傷、つまり大きい音を聞いて難聴になるのは、耳の中で内出血が起こるとか、基底板に並んだ細胞が折れるといった外傷的な発想が一般的でした。しかし私はそれ迄の研究で、音を聞くと血管のが起こり、血の巡りが悪くなるという現象がある事を知っていましたので、血流が悪くなれば当然ながらフリーラジカルが発生するだろうと考えていました。1996年に血流の研究をする為に米国のミシガン大学に留学したのですが、生憎ラボが一杯で、代わりに音響曝露によるフリーラジカルに関する研究プロジェクトを立ち上げる事になりました。その後、フリーラジカルを強力に除去するグルタチオンを増強する薬と抑制する薬等を用いて、感音難聴に対するフリーラジカルの影響を証明して行きました。
——フリーラジカルが難聴を誘発するという事ですか。
山岨 多くの臓器で言われている事ですが、フリーラジカルによって細胞に傷が付き、酸化ストレスが起こります。それによって最も影響を受けるのが、体の中のミトコンドリアです。ミトコンドリアが障害を受けると細胞死が起こります。こうした事に着目し、98年に帰国してからも音響外傷の研究を続けていたところ、農学部の田之倉優先生の研究室と共同で老人性難聴の分子メカニズムの研究を始める事になりました。そこでも同様に、酸化ストレスの蓄積やミトコンドリア機能の低下、細胞死といった一連の流れを様々な動物で証明しました。更に、米国でミトコンドリア遺伝子が加齢と共に加速度的に蓄積する動物を作っていたグループと共同で、老人性難聴に対するミトコンドリア障害やフリーラジカルの影響も証明して行きました。これらが2010年頃迄の私の主な研究成果で、これを発端として同様の論文が米国等から相次ぎました。
——当時、研究にはどの位時間を割いていましたか。
山岨 それ程ではありません。やはり外科系の臨床医なので、外来と手術で殆どの時間が埋まります。平日の昼間から研究をする訳には行きませんから、実験は夜や週末に行います。内科系とはそこが違いますね。
——臨床には、どの様に生かされましたか。
山岨 我々が蓄積した基礎実験のデータを基に、ミトコンドリア病の患者さんにサプリメントを投与して進行を抑制する治療を行って来ました。ミトコンドリア病は遺伝子の疾患ですが、老化が促進される事によって糖尿病や難聴が起こりますので、それらを予防する為にコエンザイムQ10やタウリン等のサプリメントを用います。つい最近Nature誌にタウリンを投与した動物で老化が抑制されたという研究が発表されましたが、我々はもっと前から患者さんに投薬して来て、進行が緩やかになる事を確認しています。保険適用外ではありますが、神経内科でもコエンザイムQ10の大量投与が行われる等、様々な所で使われています。
——サプリメントで効果が得られるものですか?
山岨 老化に対しては幾つかのアプローチが有り、細胞分裂をするものは若返りが可能ですが、細胞分裂をしない細胞が減少してしまうと機能が元に戻らないので、その場合は進行を抑えて障害を予防するという対応になります。再生する細胞の場合には、老化細胞を除去して健康な細胞を残し、組織の再生を促します。
小児の重度難聴手術の低年齢化に貢献
——数々の耳科手術の実績をお持ちです。特に難しい手術や希少疾患に対する取り組みをお教え下さい。
山岨 ミトコンドリア病で難聴が進行すると、最後は聞こえなくなります。そういった方の治療法として人工内耳が有ります。人工内耳の手術は小児の難聴に対しては早ければ早い程良く、手術の低年齢化には特に力を入れて来ました。認可された当時の適応年齢は2歳以上でしたが、それでは遅い事が分かっていましたので、安全な手術である事と効果を示す為に成績を積み重ねました。その結果として、適応年齢が原則体重8kg以上(1歳以上)に改訂されました。人工内耳の手術実績は、東京大学医学部附属病院で約800件のところ私自身は500件以上を経験し、その内の7〜8割が小児です。
——小児の手術は成人よりも難しい?
山岨 小児は、頭は小さくても耳の構造は成熟していますので、解剖学的に異常が無ければ人工内耳手術に問題は有りません。今は両側を同時に手術出来ますし、術式も一般的に確立されていると思います。只、内耳の形態異常等が有ると難しい手術になる事が有りますので、画像を見ながら確実なアプローチを考えます。これには臨床力が必要になります。又、小耳症の手術に関しては、日本で対応出来る医師は数人しかいないでしょう。私自身は形成外科と何度も合同手術を行い、良い成績を残して来ました。日本ではナンバーワンと自負しています。
——小児の難聴はどの様に見つかるのですか。
山岨 新生児の段階で聴覚スクリーニングが行われますので、大体はそこで見つかり精密検査に進みます。最近は難聴を引き起こすサイトメガロウイルス感染の検査も新生児に対して行われる様になり、異常が有ればガンシクロビルを投与するといった治療が小児科で認められています。多くの子は遺伝的な難聴や内耳奇形等、重度難聴で見つかり、最初の段階から療育施設で療育を始めますが、補聴器を着けても聴力が十分でなければ、1歳の段階で手術をする事になっています。
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