
自民党が大敗した今年夏の参議院選挙の結果を受け、高市早苗氏が自民党総裁となり、女性初の総理大臣に就任した。左派勢力から「保守強硬派の安倍晋三元首相の後継者」と警戒される中、公明党が連立政権から離脱し、日本維新の会と新たに連立を組む等、政権は波乱のスタートとなった。医療政策では、病院経営の改善に向け、診療報酬のプラス改定を掲げる高市首相だが、社会保険料負担の軽減を主張する維新の政権入りを不安視する医療関係者は少なくない。高市政権下で、政治はどう変わるのか。自公政権の分析や安倍政権の検証を行う等、自民党に詳しい政治学者の中北浩爾中央大学法学部教授に高市政権の評価や今後について話を聞いた。
—政治学を志された理由をお聞かせ下さい。
中北 幼少期より政治に関心を抱いていました。私は大分県で育ち、最初に握手をした政治家は社民党の故・村山富市元首相であったと記憶しています。父は会社員でしたが、組合活動を通じて政治家を支援しており、その姿から少なからぬ影響を受けました。学生時代には東欧の民主化や中国の天安門事件が相次ぎ、日本でも故・土井たか子委員長の下で日本社会党(現・社会民主党)が躍進しました。政治が大きく動き、関心が自然に向かう時代であったと言えます。最初の研究対象も社会党でした。但し、政治家を志した訳ではありません。主たる関心は、今に至る日本政治史に在ります。
——石破政権が1年しか続かなかった最大の要因は何処に在ったとお考えですか。
中北 石破茂前首相は世論調査での高い支持率を支えに、最後まで続投を模索していた様ですが、参院選で大敗した以上、退陣するのが筋だったと言えます。本来であれば、自身の政策を引き継ぐ意中の後継者にバトンを渡す道もあった筈です。しかし退陣を遅らせた結果、方向性の異なる高市政権が誕生しました。石破政権の政策自体は誤りではなかったと思いますが、政権運営の体制が脆弱で、石破氏の発信力も十分ではありませんでした。発足当初に遡れば、公言していた通り予算委員会を開いた上で解散すべきでしたし、「裏金」問題への対応も、より厳正であるべきだったと思います。
派閥無き時代の政権運営とチーム力の課題
——「石破退陣へ」という読売新聞の誤報も有り、混乱に拍車を掛けた印象が有ります。
中北 あの一件については、記者が一定の裏付けを取っていたと聞いています。只、石破氏はしばしば「疲れた」「辞めたい」と漏らす事が有り、その発言を額面通りに受け止めて記事化してしまったのでしょう。人の心情は常に揺れ動くものですが、その不安定さを読み誤ったと言えます。同様の発言を耳にした他社の記者もいたと聞きますが、周囲の状況を含めて総合的に判断し、報道を控えた。読売新聞は特ダネを急ぐ余り検討を重ねる事無く、前のめりになってしまったのだと思います。
——内閣を支える人材が乏しかった件については。
中北 政治は本来、個人ではなく団体戦です。石破氏は当初から側近が少ないと指摘されており、この点は高市氏にも通じます。自ら全てを抱え込むのではなく、信頼出来るチームを如何に形成し、機能させるかが重要です。嘗ての自民党には派閥が有り、選挙や総裁選での相互支援を通じて政権を支える構造が存在しました。しかし現在は「派閥政治=悪」との見方から多くが解消され、旧来の組織力は失われつつあります。実際、今回の総裁選挙では旧来の派閥が機能せず、長く無派閥だった高市氏が当選しました。派閥政治から脱却出来た代わりに、チーム作りが難しくなり政権の力が弱まってしまった。この点は自民党が抱えるジレンマと言えるでしょう。
——野党連合政権の可能性は有ったのでしょうか。
中北 立憲民主、国民民主、日本維新の会が連携するのは極めて難しかったと思います。立憲と国民の間には長年の確執が有り、仮に国民の玉木雄一郎代表を首相候補に掲げたとしても、主導権を握るのは議席数で勝る立憲です。そうした構図では維新にとっても魅力が乏しく、自民との連携を選ぶのは自然な流れでした。維新には保守的な議員が多く、政策的にも自民党に近い。結果として、自民と維新が連立を組み、公明が野党に回った事で、全体として政策の方向性はより明確になったと言えるでしょう。



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