
前号および前々号では、大阪・関西万博を手掛かりに、医療ツーリズムの国際的な評価軸や倫理・公平性の論点を概観した。国際指標であるMTIを見ても、医療の質に加えて、費用、治安、アクセス、患者サービスなど、多面的な要素が評価に影響することが分かる。
今号では、万博での未来医療への視点を踏まえつつ、医療ツーリズムをめぐる現状の課題を改めて整理し、その上で今後の展望と持続可能性を考えたい。国境を越える医療需要が拡大する一方、法制度の空白、患者安全、地域医療への影響など、解決すべき論点は少なくない。医療の国際化が避けられない時代に、日本は何を整え、どこを目指すべきか——その輪郭を描いていく。
医療ツーリズムをめぐる課題
まず、課題を整理していこう。
法制度・賠償の課題:医療事故が発生した場合の法的救済や責任の所在が不明瞭になりがちである。国境を越えて治療を受けた患者が帰国後に後遺症などトラブルに見舞われても、治療国での医療過誤訴訟を起こすハードルは高く、泣き寝入りするケースもある。
医療ツーリズム先進国の中には専門の苦情窓口や保険スキームを整備し、一定の補償メカニズムを設ける動きもあるが、国際的なルールづくりはまだ途上である。また外国人患者の受け入れに際し、医師のライセンスや処方薬の国際配送など法規制上グレーな部分も多々ある。例えば遠隔診療で海外の患者に医療アドバイスを行うことの適合性や、処方薬を海外発送することの是非など、各国法制度の調整が必要な論点が残る。
言語・コミュニケーションの課題:患者と言語が通じないことは医療安全上の大きなリスクである。症状の聞き取りミスや意思疎通の齟齬から誤診・誤治療につながる恐れがあり、医療通訳者の確保が不可欠であるが、タイの大病院のように何十人もの専任通訳を配置するにはコストもかかるため、十分な投資ができない医療機関では対応が不十分になりがちである。また文化・宗教的背景の違いも無視できない。例えばイスラム圏からの患者には礼拝室やハラル食を用意する配慮、女性患者には女性医師を希望する声がある等、文化的敏感性への対応もサービス品質の一部になる。こうした言語や文化の壁を乗り越え信頼関係を築くことが、医療ツーリズム成功の鍵となる。
保険・支払いの課題:多くの場合、医療ツーリズムの費用は全額自己負担である。国民皆保険の国でも海外での治療費は保険適用外となるのが一般的で全額自己負担となる国が多いなか、日本では例外的に“公的保険+民間保険”の両面でカバーされやすい。また治療後の合併症など、万一の際の経済的リスクを患者が背負う構図で、受け入れ側の病院としては、外国人患者が医療費を踏み倒して帰国するリスクや、緊急搬送時に誰が費用を保証するのかといった課題もある(日本では身元保証機関が事前に保証金を預かるケースもある)。
悪質ブローカー・質のばらつき:医療ツーリズム需要の高まりに乗じて各国で斡旋業者が乱立した。その中には誇大広告や不当な手数料を請求する悪質業者も存在し、患者トラブルの元になっている。無資格の仲介者による不適切な医療あっせん(治療歴を偽って受け入れ先を探す等)や、渡航前の説明不足によるクレームの増加も問題視されている。これに対しタイや韓国では仲介業の認証制を導入し、日本でもMEJ(Medical Excellence JAPAN:日本政府と産業界が設立した国際医療展開支援団体)による登録制度で業者の質の確保に努めている。また医療機関間の質の差も課題で、外国人患者受け入れに熱心で国際基準を満たす大病院がある一方、同じ国でも小規模な施設では、エビデンスが乏しい医療を行ったり、感染対策も不十分だったりという場合もある。患者側が正しい情報を得て適切な医療機関を選択できるよう、公的な情報提供や認証制度の整備が求められる。
以上のような課題に対し、各国政府や国際機関も対策を模索している。例えばOECDは越境医療の課題について各国の政策協調を呼び掛け、WHOも医療ツーリズムによる公衆衛生リスク(耐性菌の拡散など)への注意を促している。また患者側にとっても「自己責任」論だけでなく安全に利用できる環境整備が重要であり、受け入れ国・送り出し国双方でルールづくりと情報共有が不可欠となろう。
今後の展望と持続可能性
医療ツーリズムの未来展望としては、まずCOVID-19パンデミックからの回復と新たな成長が注目される。2020〜21年は国際移動制限で患者数が激減したが、22年以降徐々に再開し、23年の時点では多くの国でコロナ前の水準に戻りつつある。これを教訓に、一部ではオンライン診療やリモート相談を活用した事前マッチングが進み、遠隔で専門医の意見を得てから渡航を決めるケースも増えている。将来的にはハイブリッド型医療ツーリズム(オンライン診療+短期渡航治療)が定着し、患者の負担軽減や渡航効率化が図られるだろう。
各国の戦略を見ると、競争の「高度化」と「差別化」がキーワードで、既にタイやシンガポールなどアジアの主要プレイヤーは新興国だけでなく欧米の患者も奪い合う段階に入っている。今後は医療ツーリズム市場の拡大とともに供給側の競争も激化し、価格競争だけでなく質や付加価値での差別化が必要になる。また新規参入国の台頭も予想される。中東のUAEやカタールは最新の病院に巨額を投資してヨーロッパやアジアから患者の誘致を開始し、東欧や中南米でも地域ハブを目指す動きがでてきたようだ。一方で、医療ツーリズムの持続可能性を考える上では、受け入れ国内の医療体制強化と地域社会への還元が重要である。日本ではまだ規模が小さいものの、例えば地方の過疎地域に外国人患者を呼び込むことで地域医療を維持・活性化させるという地方創生モデルも期待されている。インバウンドの受け入れと自国医療充実の両立こそ、持続可能な医療ツーリズムの鍵と言えるだろう。
さらに将来的には国際医療連携が進む可能性がある。例えばアジアで共通の患者データプラットフォーム、あるいは使用可能な薬剤のプラットフォームを構築し、どの国の病院でも診療情報を共有できるようにする、各国の医師免許を相互承認して短期診療を可能にする、といった構想もありえよう。欧州連合(EU)内では既に患者の越境診療費用を一部公的保険でカバーする制度も始まっており、地域内自由移動が医療にも波及している。アジアでもASEANを中心に将来的な医療圏の構想が議論されている。国境を越えた医療提供が一般化すれば、世界規模で医療資源を有効活用できる一方、各国の規制調和や品質管理の国際協調がますます重要になる。
総合的に見て、医療ツーリズムはグローバル化と人々の健康志向を背景に今後も成長が見込まれる分野で、30年には世界の市場規模は30兆円超とも言われ、多くの国がその波に乗ろうとしている。ただし、医療は国民生活に直結する公共性の高い分野ゆえ、利益追求のみではなく持続可能↙で公正な発展を図ることが重要である。日本にとっても、世界トップクラスの医療水準を持続しつつ、海外から信頼される体制を築けば、経済活性化と国際貢献の両面でメリットを享受できる可能性がある。そのためには目先の数値目標にとらわれず、言語や文化の壁を取り除き、患者と医療者双方にとって安全で満足度の高い仕組みづくりを追求することが不可欠だろう。そしてもう1つ期待される展開は、ウエルネス分野への波及である。これを次回から述べていきたい。


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