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「先進国で最悪の財政状況」でも世論の関心が低いワケ

「先進国で最悪の財政状況」でも世論の関心が低いワケ
“行革ブーム”で見えなくなった「赤字国債発行」の裏事情

年末に向けて2020年度予算案の策定作業が本格化しているが、既に各省庁から出そろった概算要求の段階から、要求総額は6年連続で100兆円を超えて105兆円前後となるのが確実だ。安倍晋三政権下での絶え間ない歳出拡大は、国と地方の借金残高が国内総生産(GDP)の2倍の1100兆円に達し、先進国で最悪の水準になっている現実などどこ吹く風の有様。↘今年の参議院選挙でもさしたる議論にはならず、世論の関心も低いように思われる。

 そもそも、安倍が本気で財政を健全化しようという意欲を持っているなどとは、誰も思ってもいまい。特に、「基礎的財政収支」(PB)を巡る混迷がそれを雄弁に物語っているだろう。

 PBは財政健全化の指標としてよく使用され、利払いなどに充てる国債費を除く歳出から税収・税外収入を差し引いた額を示す。安倍は17年9月に出演したNHK番組で、それまで主要20カ国・地域(G20)首脳会議で「財政健全化目標の達成を目指す」と宣言し、国際公約とされていた「20年度のPB黒字化達成」を「不可能になった」と公言。続いて今年3月の参議院予算委員会では、25年度を目途に「経済再生なくして財政健全化なしとの基本方針の下、(PB黒字化)実現を目指していく」と強調した。

「27年度PB黒字化」も欺瞞

 ところがこの7月、内閣府は経済財政諮問会議での説明で、「PBは25年度に2兆3000億円程度の赤字になる」と発表。黒字化の達成は、2年遅れの27年度になると言い出した。実質的に、2度目の変更だ。しかも内閣府の試算で「27年度PB↖黒字化」の前提となっているのは、名目で3%以上の経済成長率で、現在はせいぜい先進国では最低レベルの1・8%程度だから、「黒字化」など最初から想定できるはずがない。

 このままでは、いずれ「27年度」も延長されるのは確実ではないのか。逆に、歳出の上限を実に7年連続で定めないような安倍による放漫財政が放置されながら、「黒字化」になればそれこそ奇跡に近い。仮に奇跡でも起きてPBが均衡したとしても、利払い費分はPBの外であるため、新規国債は増え続ける。

 財務省が8月に発表した20年度概算要求では、国債の償還・利払いに充てる国債費は24兆9746億円だが、これによる償還分約16兆1112億円を差し引いても、約18兆円も国債残高が増える。つまり、国債費を20数兆円も毎年予算に計上しても、何年たとうが借金は決して消えはしない構造になっているのだ。

 ここまで深刻な財政危機という一国の浮沈に関わる問題が人々の関心を呼ばないのは、不可解というしかない。個人の懐に直接響く話ではないからだろうが、こうした思いを禁じ得ないのは、1980年代前半から半ばにかけて、この国を狂熱の渦に巻き込んだ「行革ブーム」の記憶があるからだ。同時にそれは単なる懐古ではなく、もはや歳入の約3割を借金で賄うような現在の赤字財政の根源を切開する上で、避けられない考察対象にもなっている。

 そもそも、歳入を上回る歳出を補うために発行される赤字国債(国の借金)は、「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない」という財政法第4条の趣旨からすると、明らかに違法だ。例外は、建設国債のみだ。そのため、戦後初めて禁止されている赤字国債が発行されたのは、東京オリンピック後の不景気にあえいでいた65年で、しかも1年の期限を付けた特例公債法を制定しての発行だった。そして今日に至る赤字国債への大規模な依存が始まったのは、補正予算で2兆905億円の「特例公債」という名の赤字国債を組み込んだ、75年に他ならない。では、この年に何があったのか。

「清貧」者が加速した財政危機

 第1次オイルショックによる不況が長引いていたこの年、三木武夫内閣は、「企業に仕事を与えるため、政府は財政金融面を通じて思い切った手を打つべきだ」として、同年の補正予算から赤字国債発行を求める経団連会長の土光敏夫をはじめとした財界の猛烈な圧力にさらされる。

 当時の大蔵大臣は、大平正芳。戦前の戦時国債が敗戦直後のハイパーインフレを招いた恐ろしさを元大蔵官僚として知っていた大平だが、前年の田中角栄による史上空前とされた参議院選挙時の「金権政治」に対する国民の怒りを恐れた土光から「経団連の献金業務返上」を突き付けられて自民党が震え上がったこともあり、不本意ながら財界に屈した。

 大平は自分の決断を「万死に値する」と嘆き、「一生かけて(赤字国債の分を)償う」とまで吐露して苦悩の底に沈んだ。一方、土光は75年春から献金を再開し、以後も「(当初予算は)積極型予算とし、国債の思い切った増発もやむなし」(76年)、「国債依存からの脱却をあまり急ぐことは現実的でない」(77年)などと、自民党政権に赤字国債の発行に向けて公然と圧力を掛け続けた。

 その結果、赤字国債という「麻薬」によって、あっという間に財政が悪化。首相になったものの急死した大平に代わって80年7月に鈴木善幸が首相になった際には、国債残高が82兆円に達していた。このため、さすがに自民党内部でも法人税の増税の気運が出始めると、土光は一転して「(国債発行を)続けるならば、国の財政が破綻に瀕することは明らか」(80年)などと言い始める。自分が「企業に仕事を与えるため」に違法を承知で、政治資金の圧力で赤字国債を発行させておきながらだ。

 周知のように土光は、経団連という政府の財政動員に群がる業界・業者団体の長を歴任しながら、81年に本来学識経験者などそれとは利害関係のない者が就くべき第2次臨時行政調査会(土光臨調)の会長に収まり、鈴木に「増税なき財政再建」を突き付ける。それでも鈴木が法人税増税に傾くと、辞任をほのめかして「烈火のごとく怒った」(『毎日新聞』)というから、勝手なものだ。

 こんなことが許されたのも、当時、国民が一部メディアに煽られたこともあって「財政が破綻する」という恐怖感にかられ、土光があたかもそれを「行政改革」によって回避してくれるかのような根拠なき待望の熱狂に包まれていたからだろう。

 根拠がない以上、「土光さんブーム」だの「行革ブーム」だのが去るのは早い。そしてたどり着いた末が、80年代初頭とは比較にならぬほど財政危機が悪化しながら国民がさしたる関心も示さず、大企業の内部留保が18年度末に449兆1420億円という過去最高レベルに達しながら法人税が切り下げられ続け、逆に社会的弱者に負担が大きくなる逆進性が高い消費税が引き上げられるという今日の不条理に満ちた姿だ。

 その先鞭を付けた土光が今も「気骨」だの「清貧」だのと聖人並みに祭り上げられているのも、財政危機について国民が何も学ばず、気にもかけない現状と無縁ではあるまい。(敬称略)

 

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