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第126回 地方選が浮き彫りにした「令和時代」の政治課題

第126回 地方選が浮き彫りにした「令和時代」の政治課題

 人々が美しく心を寄せ合う中、文化が育つという願いが込められた「令和時代」が始まった。出典は万葉集。ますらおぶりと称されたおおらかな歌の世界を再現したような明るい社会になればと多くの人が願っていることだろう。その令和と平成の「橋渡し」の時期に行われた第19回統一地方選挙は一見地味で新鮮味が乏しいものだった。しかし、選挙結果には新時代の政治課題が浮き彫りにされており、示唆に富んでいるとの評価もある。

 「『忖度』がどうしたとか、メディアは面白おかしく書いていたが、今回の地方選で問われたのは平成時代に始まった衆院の小選挙区制と、それに呼応して変化してきた国政と地方政治との相関関係だったんじゃないか。内政の骨格が問われた選挙だったと思う」。自民党幹部は知事選、政令市長選などが行われた統一地方選第1ラウンドをそう総括した。

 小選挙区制の問題点が浮き彫りにされたのは、自民党県連と自民党本部が反目し、保守分裂になった福岡県知事選と島根県知事選だという。

知事130万vs財務相13万票

 福岡県知事選は、3選を目指した現職の小川洋氏と、自民党の推薦を受けた元厚生労働官僚で新人の武内和久氏の事実上の一騎打ちだった。結果は3選した小川氏が129万3648票、武内氏は34万5085票。「小川降ろし」を画策し、武内氏擁立に動いた麻生太郎・財務相は地元で大敗を喫し、「麻生王国の衰退」と報じられた。

 麻生財務相は過去2回の知事選で小川氏を支援してきた。ところが、2016年の衆院福岡6区の補欠選挙で、小川氏が麻生財務相らが推す候補を応援しなかったことから、関係が悪化。麻生財務相らは武内氏を擁立したが、これに県連の一部や古賀誠・元幹事長、山崎拓・元副総裁ら有力OBが反発し、有力団体も巻き込んだ泥仕合になった。

 しかし、選挙戦の終盤、塚田一郎・元副国交相が武内氏の支援集会で、麻生財務相の勢力圏である北九州市と、安倍晋三首相の地元・山口県下関市を結ぶ下関北九州道路の建設計画を巡り、2人の気持ちを「忖度した」と発言し、世論の袋だたきにあった。これが小川氏支持の流れを急加速させた。

 「〝忖度発言〟の影響はもちろんあるが、見るべきはむしろ、知事と財務相の力関係の変化だと思う。得票数を考えてみれば分かる。前回衆院選で麻生さんが福岡8区で得たのは小選挙区の約13万票、小川さんの得票は県全体の130万票でその10倍だ。国政のナンバー2でいくら力があろうが、この差は大きいんじゃないかな」

 自民党幹部は麻生財務相らが小選挙区制がもたらした変化に鈍感だったことが最大の敗因だと分析した上で、「かつて、自民党の有力議員は皆、地元で『俺が道路を通す』と豪語し、それが地元を沸かせた。今は、そんなことはできない時代だしね。地元への土産がないんだ。塚田君の発言は馬鹿げているが、地元に良い所を見せづらくなってしまった現代の衆院議員の姿を映し出しているのかもしれないな」と解説した。

 島根県知事選は、自民党県連所属の国会議員5人全員が支援した同党推薦の大庭誠司氏が、自民党の若手・中堅県議らが推す丸山達也氏に敗れた。島根は竹下登・元首相(故人)や青木幹雄・元参院議員会長が強い地盤を築き「竹下王国」と呼ばれてきたが、有力国会議員を頂点に地方議員が連なるピラミッド構造が崩れた。得票数は丸山氏が15万338票、大庭氏が12万276票。福岡県知事選のような大差ではないものの、保守の牙城で起こった「島根の変」は自民党関係者に衝撃を与えた。

 自民党選対関係者が語る。「とりわけショックだったのは、丸山氏陣営の県議が『我々は国会議員の選挙を支えるが、県議選では国会議員の世話にならない』と豪語していたことだ。自民党は結党以来、地方の組織作りを丁寧にやってきた。今でもそれが強みと信じている。この県議のような考え方をする人が増えているのなら、深刻な問題だ。地方組織がもたついている立憲民主党などの野党を笑えない」。「島根の変」は大きなしこりとなっており、自民党本部では参院選への影響を懸念する声も出ているという。

 メディアでは大きく報じられたが、選挙通の間では意外に関心が低いのが大阪府知事・大阪市長の入れ替えダブル選挙だ。自民党がタレント・辰巳琢郎氏の擁立に動いた際には、ざわついたが、地域政党「大阪維新の会」の完全勝利に関しては「折り込み済み」とのコメントが大半だ。自民党中堅議員が語る。

 「知事と市長が入れ替わったといっても選挙前と同じ顔ぶれだしね。大阪都への関心は高くなるんだろうけど……。内輪の話をすれば、自民党は推薦候補を出したけど、安倍晋三首相は、大阪維新の会を創設した橋下徹さんと親しいし、菅義偉・官房長官は今度市長になった松井一郎さんと懇意だから、ギリギリやった感じではない。二階幹事長も何度か大阪入りしているけど、あれは首相官邸への牽制じゃないの?」

 半身で臨んだのであれば、推薦候補に対して失礼な話だが、自民党幹部は違った見方をしている。

 「二階さんは本気でやったと思うよ。でも、自民党はもう少し長い目で見て対応したんだ。平成初期の話なんだが、小選挙区制と共に大きな政治課題になったのが地方分権だった。その中で、現在の都道府県を再編する道州制の議論が生まれた。大阪都構想もその延長線上で出てきた。人口減少と財政逼迫が大きな課題になる中、国・地方双方の統治機構の見直しは避けて通れない。大阪都構想はその嚆矢になり得る。芽はつまずに、仲間に取り込む。そんな感じだったんじゃないか」

改元時の首相は短期間で退陣?

 首相官邸と大阪維新の会との付き合いは、安倍首相が目指す憲法改正の仲間集めとして語られることが多いが、道州制など行政の変革も考えに入れた上でのことらしい。

 統一地方選を通じて様々な政治課題が浮き彫りにされた令和時代だが、永田町の一部では「改元のジンクス」というオカルトめいた話が囁かれている。改元時の首相は5カ月程度で退陣するというのだ。確かに、平成の改元では竹下元首相が5カ月足らずで退陣。昭和の改元では第1次若槻礼次郎内閣が、大正の改元でも第2次西園寺公望内閣が改元から短期間で総辞職に追い込まれている。疑獄事件や金融恐慌、軍部との対立が原因だが、時代の節目には魑魅魍魎が跋扈し、予測不能の事態が起きやすいという。米国も英国も政治は不安定で、世界は予測不可能性を高めている。日本だけが「おおらか」とはいかないのかもしれない。

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