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未来の会

第98回 武田の今後を暗示する湘南研究所7年間の混迷

第98回 武田の今後を暗示する湘南研究所7年間の混迷
虚妄の巨城
武田薬品工業の品行

 武田薬品による、日本企業の海外M&A(企業の合併・買収)としては最大規模となったアイルランドの製薬会社・シャイアーの買収劇が大騒ぎとなる前の4月13日、神奈川県藤沢市の湘南研究所で、社長のクリストフ・ウェバーと県知事の黒岩祐治が出席しての奇妙なセレモニーがあった。「湘南ヘルスイノベーションパーク」(湘南アイパーク)なる施設の開所式で、2人はテープカットのためにハサミを入れたが、その時点で湘南研究所という名称は消滅した。なぜ「奇妙」かといえば、鳴り物入りで2011年に誕生したこの研究所が、このようにわずか7年後に名称も、そして位置付けも変わったからだ。

 武田のプレスリリースによれば、この「湘南アイパーク」について「サイエンスにおけるイノベーションを強化するために、当社湘南研究所を開放することにより立ち上がりました。製薬企業が有する創薬ノウハウを基盤として、ベンチャー、スタートアップを含む産官学が結集し、ライフサイエンスにおける最先端技術・知見を活用したアイデアの創出・実現を可能とするイノベーションを加速化することを目指しています」と説明している。

「研究の総本山」をたった7年で「開放」

 しかし、武田はつい最近まで「東洋一」と豪語し、「武田薬品の研究の総本山」と位置付けていた湘南研究所について、次のように説明していたはずだ。

 「湘南研究所は、大阪十三研究所とつくば研究所を統合して誕生した、創薬イノベーションを加速するグローバル研究拠点です。約1200名の研究者が結集し、研究開発プロセスの初期である創薬ターゲットの探索、候補化合物選定から上市までの非臨床研究に取り組んでいます」——。

 11年2月19日の竣工式では、当時の社長で、湘南研究所開設を主導した長谷川閑史も、「アンメットメディカルニーズを満たす新薬を少しでも早く、多く作り出す」との決意を披露し、総工費約1470億円を投じたこの研究所の使命を力説したのは記憶に新しい。

 しかし、製薬企業の生命である新薬を生み出す「研究の総本山」なら、人間に例えれば頭脳と心臓を両方兼ねたほどの中枢部のはずだ。加えて新薬開発にはそれなりの時間がかかるはずだが、たったの7年で今度は「総本山」を「開放」するのだという。格別、武田という企業が気前が良いわけではなさそうだが、「アンメットメディカルニーズを満たす新薬」や「創薬イノベーション」が、今に至るまで何も日の目を見ていない段階においてだ。

 第一、それほどまでにイノベーションを「強化」したり、「加速化」したりしてくれるなら、最初から「総本山」などと仰々しく構えずに「開放」すれば良かったのではないのか。そして湘南研究所がたどった開設の後の経緯は、武田の負の側面を象徴しているのかもしれない。

 この湘南アイパークは昨秋から発足が知られており、『日本経済新聞』は「武田、湘南の研究施設を3000人規模に 日本の創薬底上げ VB・大学との連携加速」という見出しで、 次のように報じた。「武田薬品工業は湘南研究所(神奈川県藤沢市)で外部のベンチャー企業(VB)や研究員の受け入れを加速する。外部人材に施設を積極的に開放し、2年以内に所内で働く研究員数を現在の3倍の3千人超に増やす」(17年10月19日付電子版)——。

 ところが同じ『日経』の9カ月前の記事では、「武田薬品、湘南の研究員を3分の1程度に」とある。つまり「武田薬品工業が研究開発機能を再編することに伴い、湘南研究所(神奈川県藤沢市)の研究員が現在の3分の1程度になる見通しであることが14日分かった」(17年1月14日付電子版)というのだ。

研究所の変転は経営陣のちぐはぐさ反映

 少なくとも一般読者にとっては、「研究員が現在の3分の1程度になる」と思ったら、1年も経たないうちに今度は「研究員数を現在の3倍の3千人超に増やす」というのだから、頭が混乱しない方がおかしいだろう。無論、その責任は『日経』にあるのではない。国内外の製薬会社で、いやしくも「研究所」と銘打った施設について、外部の目から見てこれだけ変転する姿をさらす例は稀なのではないか。それはとりもなおさず、長谷川からウェバーに至る経営陣のちぐはぐさに他ならない。

 例えば、旧湘南研究所では確認されているだけでも、何と早くも開設2年目の13年6月の段階でリストラが始まっている。

 「11年2月にオープンした同研究所はその後、期待を裏切るかのような展開に陥る。……長谷川社長が招き入れた外国人や外資系製薬会社出身の研究者たちが胃潰瘍治療薬『タケプロン』や降圧剤『ブロプレス』などを生み出した武田の伝統的な研究開発風土を破壊。フランス人CFOが主導したリストラの大波も押し寄せた結果、『腰を据えて創薬研究をできる環境ではなくなった』(武田OB)」(「武田薬品、没落鮮明に…世界で売れる製品涸渇、外国人社員とリストラが伝統的風土を破壊」インターネットサイト『Business Journal 』16年5月2日)——。

 その後も続いた研究員に対するリストラの陰湿さと、所内のモチベーションの荒廃ぶりは社内で語り草となっているが、自社の研究員を3分の1にまで減らしておきながら、創業から5年後の生存率が一般に15%以下とされる「ベンチャー企業」や有象無象の「外部の人材」を受け入れて、創薬能力の何が変わるのか。

 武田が無謀なシャイアー買収に踏み切った動機の一つが、研究開発能力の低下ゆえの「後期開発パイプライン枯渇」から脱却できなかった点があるが、現在はともかく、他企業の買収に次ぐ買収で巨大化したシャイアーとて、将来有望なパイプライン(新薬候補)を豊富に抱えているわけではない。米食品医薬品局(FDA)に申請中の遺伝性血管性浮腫治療薬「ラナデルマブ」などいくつかにすぎず、おそらく武田は何年かしたら、また次の海外企業買収に手を出さねばならなくなる。

 しかしながら、今回のシャイアー買収以前から武田の財務状況が悪化した原因が米ミレニアムやスイスのナイコメッドといった一連の海外M&Aであったことを考えれば、いつまでも同じ手は使えないはずだ。湘南研究所の7年間の混迷は、武田の今後を暗示しているのではあるまいか。(敬称略)

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