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未来の会

第93回 リーダー失格者がリーダーを育成できるか

第93回 リーダー失格者がリーダーを育成できるか
虚妄の巨城
武田薬品工業の品行

 江戸時代、藩校として全国一の規模を誇った水戸藩の弘道館。現在は、その広大な敷地の一部が公園となっており、そこには国の重要文化財に指定された古い建築物がいくつか残されている。至善堂もその一つで、最後の十五代将軍・徳川慶喜が鳥羽伏見の戦いで敗れた後に逃げ込み、ひたすら蟄居して恭順の意を示していた勉学所として知られている。

 水戸藩は幕末の一時期、過激な攘夷思想の拠点だったが、21世紀の今になって四書の『大学』に由来する「至善」の用語を冠した学校が誕生するという。今年8月に、東京・紀尾井町で開学を予定している「大学院大学至善館」がそれだ。

 こちらは水戸学のような国粋思想とは無縁のようで、設立趣旨によると「グローバル社会を先導できるリーダー、卓越した想像力と論理思考で未来を構想でき、起業家精神を持って、ビジネスも含む社会全体のイノベーションを牽引できるリーダー、他者への思いやりと高潔な人格を兼ね備えた全人格リーダーの育成」が目的として掲げられている。

学校法人至善館の評議員会議長に就任

 これだと、よほど傑出した「全人格」的な運営陣がそろっていると期待できそうだが、「至善館」のFace bookを覗くと、あの武田薬品相談役の長谷川閑史が「学校法人至善館・評議員会議長」として登場している。何でも昨年の11月8に在日米国商工会議所で、「武田薬品CEOとして経験した企業のトランスフォーメーションや後継者選抜について」講演したとか。

 そこで何を話したか不明だが、『日本経済新聞』ですら会長退任前に「長谷川氏が推し進めたグローバル化が結果に結びついているとは言いがたい」(17年5月10日の電子版)と酷評するほど、どうひいき目に見ても「リーダー」として疑問符がつくのがこの元CEOだ。本来なら、慶喜のように潔く蟄居・謹慎でもしていた方がまだお似合いのように思えなくもないが、至善堂ならぬ「至善館」では、人様を前にして「他者への思いやりと高潔な人格を兼ね備えた全人格リーダーの育成」にあたるという。

 何しろ、長谷川は社長時代の2004年3月期から12年9月中間期まで、9年半をかけて約2兆4000億円とされる研究開発費を湯水のように投じた挙げ句、ブロックバスター(年商10憶㌦超の新薬)の製品化に、ものの見事に失敗した。鳴り物入りで誕生させた、「世界最大級の都市型創薬研究所」湘南研究所も、約1470億円もの総工費をかけながら、やたらと聞こえてくるのは社員への「思いやり」を欠いたようなリストラ話ではないのか。

 当然ながら、04年3月期決算の武田の最終利益は2853億円だったが、会長だった17年3月期決算では1149億円と半分以下になる体たらくだ。社会常識上、このような経営者は「卓越した想像力と論理思考」の持ち主とはまず見なされまい。明らかにリーダー失格のはずの長谷川は、いったいどの顔下げて目の眩むようにきらびやかな修飾語をまとったこのような「リーダーの育成」を買って出る気になったのか。

 無論、私企業の武田が儲かろうが失敗しようが、あるいは長谷川個人が「高潔な人格」なのか否なのか、社会があえて主要な関心事として受け止めねばならぬ義理はない。問題は、「グローバル」とは縁遠い日本型経営の悪習の産物である相談役という地位だけでは飽き足らないのか、至善堂、もとい!「至善館」で「グローバル」だの「ビジネス」だのといった用語が躍る「教育」に二股をかけ始めた長谷川が、今日及ぼしている「公的」な次元での厄介さ加減なのだ。

「過労死促進・残業代ゼロ」制度を発案

 具体的には、首相の安倍晋三が「労働時間が短くなる」などと例によってありもしない嘘をついた挙げ句、厚生労働省のデータを捏造した手口がバレて、撤回に追い込まれた裁量労働制の問題を指す。そしてこの長谷川こそ、現在大きな論議を呼んでいる「働き方改革」と称した、「過労死促進・残業代ゼロ」の制度をかつて発案した張本人に他ならない。

 長谷川は経済同友会の代表幹事時代、内閣設置の産業競争力会議の雇用・人材分科会主査として2014年4月、「個人と企業の成長のための新たな働き方〜多様で柔軟性ある労働時間制度・透明性ある雇用関係の実現に向けて〜」なる提言書(「長谷川ペーパー」)を発表。「労働時間と報酬のリンクを外し」、報酬は労働時間ベースではなく、成果ベース、すなわち「職務内容や目標達成度を反映して」支払われるべきだと主張した。

 要するに「働き方改革」と同様、企業側の裁量労働制をもっと拡大しろという要望を反映した内容だが、この裁量労働制を全社的に違法に適用した野村不動産の50代の男性社員が過労自殺した事実からも分かるように、こうしたことがまかり通れば過労死は後を絶たない。安倍は、裁量労働制の対象拡大を「働き方改革」の関連法案から削除して提出を先送りするらしいが、長谷川の「報酬は成果ベースにしろ」などという主張自体が、労働時間を規定した労働基準法を破壊して過労死を招く元凶なのだ。

 長谷川が武田の財務に約2兆4000億円の大穴を空けても、無能経営者の烙印を押されるだけで終わる。だが「長谷川ペーパー」なるものは、今やサラリーマンの生き死にまでの問題に関連するまでになっている。

 そんな長谷川が、今になってノコノコと「他者への思いやりと高潔な人格を兼ね備えた全人格リーダーの育成」にあたるという「大学院大学」の「評議員」に名を連ねているとは、厚顔無恥も度が過ぎよう。サラリーマンを死に追い込むまで働かせるような制度を煽った当事者が口にする「他者への思いやり」とは、いったい何なのだ。

 もっとも、長谷川のようにやたらと「グローバル」だの「イノベーション」だのといった用語を振りかざしたがる米国かぶれの新自由主義信奉者は、掃いて捨てるほどいる。経団連会長の榊原定征などは、「国際競争の中で、日本企業の競争力を確保・向上させるためには、労働時間規制の適用除外は必要不可欠である」などと放言しているが、こうした連中は、過労死した社員と家族の無念さ、悲しみに思いをはせる人間的な共感力より、「企業の競争力」の方が重要なのだろう。そんな「リーダー」がいくらいようが、結局は「失われた○○年」を性懲りもなく長引かせるだけのように思えるのだが。     (敬称略)

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