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院長として業績を伸ばし手術も続行 ~「天皇陛下の執刀医」が行ってきた名門病院の改革~

院長として業績を伸ばし手術も続行 ~「天皇陛下の執刀医」が行ってきた名門病院の改革~
天野 篤(あまの・あつし)1955年埼玉県生まれ。83年日本大学医学部卒業。同年関東逓信病院(現NTT東日本関東病院)臨床研修医。85年亀田総合病院心臓血管外科。91年新東京病院心臓血管外科(94年より心臓血管外科部長)。2001年昭和大学横浜市北部病院循環器センター長・教授。02年順天堂大学医学部心臓血管外科教授に就任。12年天皇陛下の心臓手術(冠動脈バイパス手術)を執刀。14年同大医学部附属順天堂医院副院長。16年同院長。心臓を動かしたまま行うオフポンプ手術の第一人者で、これまで執刀した手術の患者数は7500例以上。著書に『熱く生きる』『一途一心、命をつなぐ』など。

——先生の就任以降、順天堂大学は改革が進んだのではありませんか。

天野 私が順天堂大学に来たのは2002年で、心臓血管外科の教授として就任しました。その頃の順天堂大学は、400億円くらいの借金があったようです。銀行が入ってくる直前くらいの状況だったといいますから、変わらなければならなかったのでしょう。改革というより、時代のニーズによって、変わらざるを得なかったと言った方が適切かもしれません。とにかく、膨大な借金を返すために、背に腹は代えられないということで、診療を中心にした運営をしていかなければならなかったのです。私は心臓血管外科の教授として、その一翼を担ってきたわけですが、窮地に陥っていた順天堂大学を救ったのは、小川秀興理事長の手腕でしょう。

——どんなことをされたのですか。

天野 近くに東京大学や慶應義塾大学など、大きな関連病院を持つ有名大学がたくさんあり、順天堂大学は明らかに出遅れていました。そんな状況からどうしたかというと、静岡病院、浦安病院、順天堂東京江東高齢者医療センター、練馬病院と、公設民営型の附属病院を次々と開設していったわけです。これらの病院は医学部附属病院なので、支出の部分をしっかり統一して管理することが出来、スケールメリットを出すことが出来ました。複数の施設を持つ民間病院、例えば徳洲会病院などがやっていることを、大学病院として行ったわけです。しかも、管理体制に関しては、民間の病院よりもさらに強固に管理してきました。これにより、この15年間で収益を向上させることが出来、経営状態を改善することが出来たのです。ちょうど急性期病院のニーズが高まった時に、関連病院を増やしたのが勝因でした。組織を拡大するのではなく、附属病院を増やし、教授という肩書で人を派遣することで、トータルのコストを抑えながら、診療のアクティビティを上げていくことが出来たのです。

——教授のポストで人を集められたのですね。

天野 教授というのはなってしまって、その立場で仕事を始めると、その前後で大して変わったことをするわけではありません。しかし、医学部教授というのは社会一般からするとかなり尊敬される肩書ですから、地域医療ではそれなりの看板になれるのです。

診療に力を注ぎ学会活動は捨てた

——順天堂大学に来た理由は?

天野 ここにたくさんの手術症例があると思ったからですよ。それまで亀田総合病院や新東京病院などで心臓手術をしてきたわけですが、これまで叩き上げてきた技術が通用するのか、東京のど真ん中で勝負してみたかった。すし屋が銀座に店を出したい、銀座で勝負したい、と言うじゃないですか。あれと一緒です。自分の手術がどれだけ通用するのか、試してみたかったし、誰よりも通用するという自信がありました。

——大学教授になると、診療以外の仕事も増えるのではありませんか。

天野 その通りです。診療の他に教育や研究といった仕事があります。診療に関してはある程度自信がありましたが、それ以外に関しては、ずっとやってきたわけではありませんから。いろいろ考えましたが、まず学会活動を捨てることにしました。元々、群れるのは好きではないので。

——学会に入らないということですか。

天野 いや、大学教授になると指導的な立場で所属するのですが、それを放棄すると、私の下にいる若い人達が資格を取れなくなってしまうので、学会には所属しています。一応、評議員であるとか、場合によっては理事になったりもしていますが、学会活動には力を入れていません。学術総会の会長をやってくれという依頼は、全てお断りしました。最近は私と同じ年回りの先生達が、大きな基幹学会やその次くらいの学会で会長をやっていますが、医局員の苦労を考えると全く魅力を感じませんでした。

——学会に時間を取られたくない?

天野 そうですね。私には必要なかったという感じです。ただ、アメリカ胸部外科学会の正会員になれたんですよ。心臓外科の分野では世界最高峰の学会です。正会員は人数限定で、ゴルフの会員権のように、誰かが抜けないと新たに入れないシステムです。そういう学会に入れたので、それ以外の学会はいいかな、という思いもありましたね。

——後進の育成には力を注いできたのでは?

天野 順天堂大学で仕事を始めてから、自分に何かあったらまずいな、と考えるようになりました。例えば、乗っていた飛行機が落ちたら、というような突発事故に関することです。自分が仕事を出来なくなるだけでなく、自分と共に行動している人達も機能停止に陥ってしまい、世話になった大学にも迷惑をかけることになると思いました。それで、自分のやっていることの8割5分くらいは出来る人を育てておこうと思ったわけです。組織を守るための危機管理ですね。そんな影武者がいれば、すぐに行き詰るようなことにはならない。それを何年かかけてやって、ようやく目途がついたと思った頃に、院長をやれという話がきました。巡り合わせなんですね。

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