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第94回 自分なりの「ヒポクラテスの誓い」

第94回 自分なりの「ヒポクラテスの誓い」

師だって医学部の学生だって、普通の人間。本人はそう思っているだろう。私自身もそう思う。欠点もあれば短所もある。生活の中ではミスもするし、時には感情的になることだってある。

 ところが時として、社会や世間からは「医者なのに」「医学生がそれで良いのか」と、許してもらえないこともある。

 また、同じ罪を犯しても、医者や医学生の場合は実名や所属先が新聞などに大きく載ってしまい、社会的立場を失う場合もある。

 特に地方は大変だ。

 私もかつて北海道の小都市の公立病院に勤務した経験を持つが、例えば大きな書店は1カ所しかなく、「暇潰しにミステリーでも」と寄っても、店内のどこかに誰かの目があった。

 次の外来の時に、患者さんから「先生、この間、恋愛小説を買っていたでしょ。ああいうのが好きだなんて意外だね」などと言われ、ぎょっとしたことも一度では無かった。

 こういうことが続くと、「医師や医学生ってプライバシーはなくてプレッシャーだけがあるし、窮屈なだけだな」と自分の選んだ道を後悔する人もいるのではないだろうか。

 私の場合、今は東京に住んでいて、病院を出て一歩雑踏に入ると匿名になれること、「この間、居酒屋で見ましたよ」と言われても、「私だってビールくらい飲みますよ」と平然としていられるようになったことなどがあり、ほとんどストレスを感じずに済むようになった。

 また、医師として重ねた経験も、「多少の窮屈はあっても、この仕事を選んで良かった」と思わせてくれるのに役立っている。

 例えば、解離性同一性障害(多重人格)の患者さんの交代人格に手を焼きながら、薬物療法を行ったりそのトラウマを聴き出して共感の言葉を掛けたりしつつ、何とか主人格の力が強まるように促す。

 そんな時、「人間ってすごいな。こんなサポートが出来るのは、精神科医ならではだ」とこの仕事に満足し、「そのためなら多少の苦労も」という気になるのである。

 時々、医学生がコンパで飲み過ぎて急性アルコール中毒で搬送された、若手医師が看護師へのセクハラやパワハラで職場での処分を受けた、という話が聞こえてくる。時には、もっと大きな事故や犯罪に繋がるケースもある。

 おそらく、この人たちの中にも「プライバシーは無くて、プレッシャーだけ」という医学生、医師ならではの生活に耐えかねて暴発してしまった、というタイプがいるのではないか。

 もちろん、ストレスがいくら大きくても事故や犯罪を起こしてよいはずはない。多くの医師は立場をわきまえ、自分をコントロールしながら、何とか仕事と生活のバランスを取っているのだ。

「自分ばかりが損」と思っていないか

 では、どういうタイプが「もうやってられない」と暴走してしまうのか。

 まず考えられるのは、すぐに人と自分とを比べて「自分ばかりが損をしている」と思うタイプだ。「文系大学の同級生は夏休みも遊んでばかり。それに比べて、医学生の俺には休みも無い」「高校時代の同級生は商社勤めで、有休で海外旅行三昧。彼女より成績が良かった私は当直ばかりで国内旅行にも行けない。

 これって理不尽じゃない?」と常に“今”だけを見て、「自分ばかりが損」と思ってしまうのだ。

 長い目で見れば必ず「医師になって良かった」と思う日は来るはずだし、他の学部や他の仕事の人からは「医師になれるなんて羨ましい」と羨望のしで見られているかもしれないのに、それが目に入らない。

 心の視野が狭くなって、物事を認知する力が弱まっているのだ。

医師には「他では味わえない充足感」がある

 それから、「医学生や医師になれば“大きなごほうび”がある」と期待値が高過ぎる人も危険だ。その人達は「医療は基本的に人や社会に奉仕する仕事」という基本を忘れており、この仕事の光の部分にしか目が向いていない。

 “ごほうび”は、目に見えない。人や社会に奉仕した結果として、目に見える形ではなく、ずっと後になってから“心の財産”として与えられるものなのである。

 このように長い目で見る力が無ければ、この仕事から喜びを得ることも難しいだろう。

 「医学の祖」と言われるヒポクラテスは、有名な「ヒポクラテスの誓い」の中で、「純粋と神聖をもってわが生涯を貫き、わが術を行う」「いかなる患家を訪れる時も、それはただ病者を益するためであり、あらゆる勝手な戯れや堕落の行いを避ける」と医師に高いモラルを求めている。

 これを世界医師会が現代的に言い換えた1948年のジュネーブ宣言にも、「私は、人類への貢献に自らの人生を捧げることを厳粛に誓う」という一文がある。

 もちろん、冒頭に述べたように、医学生・医師といえども一人の人間であり、当然のことながら、欠点や短所もあれば、感情も持ち合わせている。仕事より優先したい私生活の事情もあるだろうし、場合によっては「仕事はほどほどにして家庭や趣味を優先したい」という医師がいてもおかしくはない。

 とはいえ、医学生・医師が人間の生と死に立ち合ったり、身体や心の内側にまで立ち入ったりすることで得られる手ごたえや満足感は、おそらく他の仕事では絶対に得られないものだ。

 「いや、そんなものは要らないから、自由が欲しい」というなら、もちろんそれも良いだろう。

 しかし、「そうか、他では味わえない充実感を、仕事を通して手に入れたい」と思うのであれば、やはりそれと引き換えに「多少の窮屈さ」を避けることは出来ない。いや、「窮屈」と考えるから気が重くなるのだ。

 ここはひとつ、心を高く掲げ、「私なりの“ヒポクラテスの誓い」「自分なりの“ジュネーブ宣言”」の草案をそっと作ってみる、というのも良いのではないだろうか。

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