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第19回 【ブータン】「幸福の国」の概況

第19回 【ブータン】「幸福の国」の概況

 今回と次回は「幸福の国」と言われるブータンの状況と医療を覗いてみよう。

地理と歴史

 ブータンというと、「どこ、それ?」あるいは「幸せの国?」と聞かれることが多い。2011年にイケメンのジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク第5代国王(当時31歳)と、パイロットの娘で美人のジェツン・ペマ王妃(当時21歳)が来日したことを思い起こす人も多いであろう。

 実際のブータンは、王国で北は中国、東西南はインドと国境を接する。国土面積は38394km² (九州とほぼ同じ)、人口は76万5000人 (14年、世界銀行調べ)であり、大半が山である。民族はチベット系5割、ネパール系4割で、公用語はブータンでしか通用しないゾンカ語である。

 鎖国政策を長年採っていたが、1971年に国連加盟をし、現在は観光にも力を入れている。ただ、1999年まではテレビが禁止されていた。初めての総選挙を経て、2008年には国会が招集され,ブータン初の憲法が採択、施行された。ちなみに、国内最大の産業は農業と水力発電で、その次くらいに観光がくる。

経済と文化

 世界銀行によれば、2014年の1人当たり国内総生産(GDP)は2560.5ドルであるが、失業率も2.8 %と低く、あまり混乱はない。1960年代以降の近代化政策の推進により,自給自足経済から市場経済への堅実な移行が進められた。

 とはいっても、彼らの言葉を借りていえば、隣国のチベットのように、商業化することを望んでいないブータンでは、観光客数の過度な拡大、およびそれによる内需の拡大を望んでいない。少数の観光客に高付加価値を求めるため観光客は原則、有料のガイドを付けることが義務付けられている。従って、観光客が多いという雰囲気はない。これも環境保護の観点と思われるが、ガイドは観光ガイドではあるが、観光客の行動を監視しているともいえる。

 民族衣装(男性はゴ、女性はキラという)は、学生や仕事中の人は原則民族衣装の着用が義務付けられている。後述する西岡京治氏により近代農業が開始されたために、現在はご飯や麺類が食卓に多く並ぶ。

 首都はティンプーであり、ヒマラヤ山脈の南東にある盆地の底(といっても標高は2320m)に位置している。人口は約10万人で、空港・鉄道が無く不便な場所で、作物もあまり取れないのでこのエリアを盛り立てるために首都にしたと言う人もいた。市内(国内)には交通信号がなく、交通警官が交通を捌いている。町の中心地は、日本の20年くらい前の風景を思わせる(写真①)。電化製品などは中国からの輸入というが、日本の製品も多く見られた(写真②)。娯楽の一つである映画館が二つある(全国では三つ)。図書館には日本の書籍(写真③)も置いてあるが、基本はチベット仏教の奥義の書物(というか巻物?)が多い。

 国際空港はティンプーから1時間ほどのパロにあり(ここしかない)、ここがブータンの玄関口になっている。パロは、一番高いところで海抜約2200m(7300フィート)あり、4900m級の山々に囲まれている。パロは小さな町で、人口は3万5000人くらいという。ここはブータンをチベットとインドに結ぶ交通の要路である。

 ブータンにはパドマサンバヴァが8世紀に仏教を伝えたとされ、主流はチベット系仏教である。国教は仏教であるが、かつてのチベット、現在ではモンゴル、ネパール、ブータンを中心にするチベット密教である。これは、日本に伝わった大乗仏教に近く、上座部仏教(小乗仏教)のように他人に迷惑をかけずに、個人の悟りを重視するものではなく、人は相互依存であり、全ての人類を救済するという視点がある。チベットでは仏教伝来前にシャーマニズムのような信仰があり、その影響も受けつつ、インド伝来の137巻の経伝(国立図書館に保存)を基に布教されているという。日本の仏教とは同じ大乗仏教でも少し異なっており(日本が独自の進化を遂げたという見方もあるが)、修業は厳しく、寺院には曼荼羅が飾られている。なお、後述するGNH(Gross National Happiness:国民総幸福量)の概念にも、このチベット仏教の積極的な思考が幸福につながるという考え方が生かされている。

 ブータンでは政教分離が完全になされているが、僧侶の地位は高く、1万1000人の僧侶がいる。

アクセス

 そうはいっても、日本からブータンに行くのはなかなか大変である。昔は国営航空である、 Drukair(龍の意味)航空(ロイヤルブータン航空ともいう)のみであったが、2011年から現在は民間のブータン・エアラインズも就航し、一社独占ではなくなっている。Drukair航空は3機のエアバスA319を持つ。筆者はDrukair航空で行ったが、乗ってみる(エコノミー)と、サービス精神はあまり無く快適とは言えないが、悲惨ということも無かった。

 日本から行く場合にはバンコクやシンガポールからの乗り継ぎであるが、ブータンのパロ空港が山の中にあるために悪天候などでよく欠航するとされる。実際、航空会社からの案内ではブータンから戻る場合にも24時間以内の乗り継ぎは危険と記載されている。ビザも必要だが、一度ビザが取得出来れば入国などは極めてスムーズであった。

日本との関係

 現地で何度も話題に出たのが、「ブータン農業の父」と言われる西岡京治氏である。1964年にブータンに海外技術協力事業団(現・国際協力機構)のコロンボ・プランの農業指導者として夫人とともに赴任した。記念館で映画を見せてもらったが、28年間にわたって日本から導入した野菜の栽培および品種改良、荒地の開墾など、ブータンの農業振興に尽力した方である。80年にジグミ・シンゲ・ワンチュク第4代国王から「国の恩人」として、民間人に贈られる最高の爵位である「ダショー」を授かり、ブータンにおいて唯一にして史上初の外国人受爵者となった。92年にブータンでの歯の手術後の敗血症により、59歳で死亡したという。

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