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福島県の医療支配と福島県立医大の蛮性

福島県の医療支配と福島県立医大の蛮性

元亀田総合病院副院長
小松秀樹

●高野院長の壮絶な最期
高野病院は福島第一原発から22キロメートル南に位置する118床の病院である。震災後、医療環境が一変し、病院は苦境に陥った。それでも、双葉郡で高野病院だけが、営業を続けた。唯一の常勤医となった高野英男院長は、病院敷地内の自宅に一人で住み、入院患者を守るために、身を粉にして働いた。2016年12月30日、自宅が焼失し、高野院長が火災現場で遺体として発見された。享年81歳。震災に翻弄された壮絶な最期だった。

●火事場泥棒
東日本大震災の6か月後、復興予算が組まれることになった。復興予算は、増税でまかなわれた。すべての国民が、自らを犠牲にして、被災者を助けようとするものだった。当時、私は、復興を被災者の生活が再建されることであると定義し、復興予算を使うことを正当化するための4条件を提案した(1)。復興予算を使うためには、すくなくとも、どれかを満たす必要がある。

1.地元の被災者の生活の維持と再建に直結すること
2.被災者の雇用に直結すること
3.被災者を多数雇用する地元企業にお金が落ちること
4.被災地を後にした被災者の再就職と生活再建に直結すること

実際には、莫大な資金が、行政自身が運営主体になっている事業の新設など、とても、復興とは言えないものにつぎ込まれた。復興予算という名目によって、財政規律が失われ、多くの官庁が復興予算に群がった。それでも、高野病院が支援されることはなかった。
当時の福島民報(2011年9月20日)は、福島県と福島県立医大が、総事業費約1000億円で放射線医学県民健康管理センターなど5施設を、5年以内に新設すると報道していた。これにより、膨大な利益を得たり、特権を得るグループや人が生じるが、それは被災者ではない。福島県立医大は内陸部の中通りにあり、津波の被害を受けていない。私はこの計画の正当性に疑問を投げかけ、この復興予算要求を「火事場泥棒」と非難した(2)。私は、まさか、これが実行されるとは思ってもいなかった。

私の予想に反して、壮大な規模の「火事場泥棒」が実行された。福島県立医大に投入された資金は、浜通りの民間病院支援に必要な資金より、2ケタ以上多かったと想像する。福島県立医科大学のホームページを確認したところ(2017年1月6日)、震災後、ふくしま国際医療科学センター(放射線医学県民健康管理センター、県民健康管理センターデジタルアーカイブ、先端臨床研究センター、医療-産業トランスレーショナルリサーチセンター、先端診療部門)、ふくしま子ども・女性医療支援センター、災害医療総合学習センターが新設されていた。先端診療部門には新たに建設された5階建てのみらい棟と呼ばれる建物が含まれている。
福島県・福島県立医大の計画には、復興予算の基本である被災者への同情と奉仕の精神が欠如していた。税金を使うことについて、公共心と自制心が欠如していた。結果として、学生と医師の大学に対する誇りを奪った。

●日本の医療統制
日本の医療は旧共産圏のように、政府によって強く統制され、計画経済に近い形で運営されてきた。2014年の地域医療介護総合確保推進法で、さらに統制が強められた。
地域医療構想では、構想区域の病床機能ごとの病床数を行政が推計し、各病院への割り当てを実質的に行政が決める。実行に強制力が伴う。都道府県知事は、「勧告等にも従わない場合には」最終的に「管理者の変更命令等の措置を講ずることができる」(地域医療構想策定ガイドライン)。民間病院でも県に逆らえば、院長が首になる。都道府県に出向した医系技官が、病床配分を通じて、個別医療機関の生死を握ることになる。大きな裁量権は、専制と腐敗を生みやすい。

さらに、消費税増収分を活用した地域医療介護総合確保基金が、都道府県に設置された。補助金を、都道府県の裁量、すなわち、都道府県に出向した医系技官の裁量で医療・介護施設に配分する。医療には消費税を課されていないが、医療機関の購入したものやサービスには消費税が上乗せされている。消費税率引き上げ分が診療報酬に十分に反映されていないことを考え合わせると、この基金は病院の収益の一部を取り上げ、それを、支配の道具に使う制度だと理解される。病院の投資を医系技官が握ることになる。病院独自の経営努力の余地を小さくし、不適切な投資を強いることになる。

●計画経済と自由主義経済
旧共産圏の計画経済は、本来、平等を目指すためのものだった。あらゆる需要を推計し、推計に基づいて計画的に生産する。製品とサービスを平等に分配する。これにより、理想の国家が現出するはずだったが、実際に生じたものは、真逆のものだった。非効率と特権と圧制がはびこった。
計画経済は膨大な優先順位の選択を必要とする。すべてについて民主主義的に決定することは不可能であるため、統制の詳細を官僚が恣意的に決定することになる。官僚の意見が国民に強制され、必然的に官僚に権力をもたらす。福島県立医大の復興予算を使った投資は、官僚によって決められ、莫大な予算が彼らの権力を強めた。

人々の望む製品やサービスは多様である。生産者や提供者が考える良い製品やサービスも多様である。このため、それぞれの提供者は自分の周囲の需要を感じ取り、より良い製品やサービスを目指して、改善の努力を継続する。未来を豊かにするためには、現場における多様な努力を抑圧することなく、促進させなければならない。単一の製品やサービスを国が決めて現場に押し付けると、サービスの選択肢を少なくするのみならず、将来の進歩を阻害する。将来の望ましい製品やサービスは現時点では未知なので、進歩のためには多様性と選択の自由が不可欠なのである。レストランのメニュー、調理方法、価格、食材の配分を国が決めて強制すれば、創意工夫と努力が抑制され、レストランの質は低下するしかない。

自由主義経済は、自生的な力を生かし、強制を最小限のすることで発展を期待する。個々の事業者がそれぞれの価値基準にしたがって努力し、繁栄できるようルールが整えられる。シリコンバレーは政府の計画で生じたものではない。政府は邪魔をしないことが重要なのである。個人の領域では誰の指図も受けないが、これは自由放任ではない。環境保全のための排水や排ガス規制、公正な取引のルール、雇用に関するルール、労働環境の適正化など法による介入は不可欠である。ただし、それが特権をもたらすものであってはならない。
競争が格差をもたらすとする意見があるが、計画経済も権力との距離による差別と格差をもたらした。実際に、所得の再分配は自由主義世界でも大きな課題であり、すべての先進国で行われている。日本はあらゆることを計画し、細かく指示したがる政府を持っているにも関わらず、再配分が有効に機能せず、「こどもの貧困」が大きな問題になっている。

●官民の競争環境
日本では、医療サービスの提供には、医療法人、社会福祉法人、学校法人といった民間非営利法人が大きな役割を果たしてきた。実際に、日本の病床の70%は民間病院が保有している。国公立病院も民間病院と同じく、措置として医療サービスを給付するのではなく、患者との契約に基づいて医療を提供している。契約なので、患者には病院を選択する権利がある。このため、国公立病院を含めて、全ての病院は、競争関係にある。国公立病院も民間病院も、良質の医療を提供して患者を増やし、経営を安定させようとしていることに変わりはない。そうしなければ、病院を存続させることができないからである。

医療サービスを持続可能なものにし、さらに進化させるためには、官民が同じ条件で競争できるようにしておく必要がある。これまで、診療報酬体系が共通だったことで、かろうじて競争を成立させてきたが、自治体病院には、膨大な税金が投入されている。病院に投入されている税金は医療費とみなすべきである。公平な官民の競争環境は整っていない。官僚が自らのために、公を旗印に、利益誘導をしている。これが民間病院の存続を危うくしている。
2014年の医療介護総合確保推進法によって、医療の統制が強められた。診療報酬の引き下げと消費税率引き上げにより、病院の利益が圧縮され、民間医療機関に再投資の余裕がなくなった。周到な計画による政策によって、収益を奪われたといってよい。

自治体病院の多くは、医業収益より医業費用がはるかに大きいが、不足分は税金で補てんされている。福島県立医大では、官僚の恣意で膨大な税金が官製事業につぎ込まれた。民間病院側からみれば、自分たちの収益を競争相手である自治体病院に奪われて、存立が脅かされる状況に追い込まれたことになる。
福島県の無駄使い体質を示す例が高野病院の近くにある。2018年4月、双葉郡に30床の二次救急病院「ふたば医療センター(仮称)」が開院される。この施設の建設予算が24億円だという。1床あたり8000万円にもなる。自治体病院共済会の調査によれば、病院の建設費は、1床あたり、民間病院平均1600万円、公立病院平均3300万円である。ふたば医療センターは民間の5倍の建設費である。しかも、この病院は最大5年で閉鎖される予定だという。5年以内に、双葉郡の避難指示が解除される。避難指示解除に合わせて双葉郡内の県立病院が再開され、それに合わせて「ふたば医療センター(仮称)」は閉鎖されるという。私立病院の存続が危ぶまれるところまで追い込んでおいて、一方で、莫大な費用を公立病院に湯水のごとくつぎ込んでいる。

「ふたば医療センター(仮称)」の無駄遣いは被災地の特殊事情で問題になっていないが、全国的にみると、民間病院のみならず、自治体病院にも危機が迫っている。国と地方の借金が1千兆円を超えており、これまでのような放漫経営を続けることが許されなくなった。病院、とくにフル装備の基幹病院を運営するには、莫大な資金を必要とする。病院の財政規模は小さな市よりはるかに大きい。診療報酬を下げられると、病院の経営が一気に悪化する。2014年に開院した東千葉メディカルセンターは、千葉県の安易な計画により、債務超過、資金ショートに追い込まれ、東金市の財政まで危ぶまれる状況になっている(3)。
現状の政策が継続すれば、誇りを持った民間医療機関は狙い撃ちにされ消滅することになる。後に残った自治体病院は、自治体の予算を食いつぶす。現状の政策の延長上に、明るい未来は見えない。

●法の支配
計画経済はあらゆることを統制しようとする。これは行政の権力を増大させ、自由を阻害する。防ぐ方法はあるのか。
高橋和之によれば、「法の支配」は「人の支配」に対する概念で、人によるその場その場の恣意的な支配を排除して、あらかじめ定められた法に基づく支配によって自由を確保することを目的とする(『立憲主義と日本国憲法』)。このためには、法によって、行政組織の自由裁量権を、最小限に抑えなければならない。
「法の支配」を堅持することは簡単ではない。統制経済では、政府による強制が当たり前になり、ルールが無視される。日本には制限憲法が存在しているが、制限憲法がただ存在しているだけで、「法の支配」が可能になるわけではない。日本国憲法第12条前段が述べているように、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」。しかし、日本人は国家の横暴に対し、あまりにおとなしい。

●福島県立医大の反知性主義
個人主義とは、他者の自由を阻害しない範囲で、自分独自の価値を保持することである。夏目漱石は明治を代表する個人主義者である(4)。漱石に代表されるように、知性は画一化を嫌う。人々に画一的な政策を押し付けるのに、知性は邪魔になる。全体主義が知性に反感を示す乱暴者によって支えられたのは偶然ではない。
東日本大震災後、福島県は、反道徳的とさえ言えるような行動をとった(2)。専制的支配が常態となっていたため県庁職員の道徳まで低下させたと想像する。
2件だけ実例を挙げる。

一件目。福島県は、メディアに対し双葉病院職員が患者を放置して逃げ、多くの患者が死亡したという虚偽の記者発表をして、双葉病院に対する非難報道のきっかけを作った。実際には、病院職員は患者を守るための努力を継続していた。避難誘導の責任は福島県庁にあったが、致命的に遅れたことが事件の背景にある。これを現場の医療従事者の悪として発表した。福島県は4年半にわたる裁判でやっと過誤を認め、「事実に反する記者発表をしたことは行政として、著しく適切さを欠く」とする謝罪文を1年間福島県のホームページに掲載することで和解した。病院側は、税金から支払われることになるためという理由で、損害賠償は求めなかった。

二件目。福島県福祉事業協会傘下の知的障害者施設の多くは、福島原発の10キロ圏内にあった。急に避難を強いられたため、名簿が持ち出せなかった。利用者の多くは、抗てんかん薬をはじめ、重要な薬剤を投与されていた。法令上、生年月日が分からないと、正確な年齢が分からず、処方箋が書けない。このため、福島県 の災害対策本部及び障がい福祉課に対し、生年月日データの有無とない場合の対応について相談したが、自分たちの責任で対応するよう言われ、一切の協力を拒否された。知的障害者は騒ぐので、避難所で迷惑がられ、転々と移動せざるを得なかった。最終的に田村市の40名規模の通所施設に、障害者199名と、職員54名、ボランティア7名がひしめくことになった。てんかん発作の重積状態のため、障害者が1人死亡した。福島県はこれを受けて、投薬などが適切におこなわれているか、不正がなかったか、避難所に調査にきた。自分たちの不親切について語ることはなかった。

県の被災者無視の身勝手な方針を、福島県立医大に強引に伝える役割を果たしてきたのが、菊地臣一学長である。菊地氏の管理者としての基本態度を示す逸話がある(5)。
2007年、福島県立医大整形外科医局の忘年会旅行の余興の問題映像が外部に流出して大騒ぎになった。この事件当時の整形外科教授が現在の菊地臣一学長だった。破廉恥な余興を若い医師に強いる背景には、絶対服従の人事権があったと想像する。
福島医大ホームページに学長が担当するコラムがある。菊地臣一学長は、このコラムで何度か医局旅行に言及している。
「先日の医局旅行で、出欠表になかなか記載をしないスタッフ達がいました。私はこの時、彼等に苦言を呈しました。医局旅行は、医局の行事として恒例のものです。やる以上は、その目的の達成にスタッフは努力すべきです。スタッフが努力せずに、誰に旅行の成否を賭けるのでしょうか。」

菊地学長の文章からは、医局旅行を嫌がる医局員、それでもやれと命ずる上司という構図が浮かぶ。旅行とはゲーテの『イタリア紀行』に代表される個人的な知的趣味の世界である。集団旅行は必ずしも一般に受け入れられるものではない。破廉恥医局旅行は、支配-被支配関係を確認するための儀式に見える。非合理を押し付ける蛮性が、理不尽ともいえる支配を可能にした。被支配者に対する傲慢な態度と、支配者である福島県に対する卑屈な態度は同根であり、知性と相容れない。

●領地巡回
震災後、福島県立医大に新設された施設には、いずれも職員のポストがつけられた。その分、福島県立医大に医師が留められることになり、医療現場から医師が吸い取られた。浜通りへは、「寄附講座」を通して医師が派遣されることが多くなった。「寄附講座」だと、医師の給与以外に福島県立医大への上納金が必要とされるので、医師の調達コストが膨らむ (6)。求められる費用はそれだけではない。医師が派遣された病院は、それぞれの医局にアルバイトを頼むことになる。このアルバイトが大学の医師の収入を補う。若い医師だと、相応の労働を提供するが、大学教授は形ばかりの診療で多額の報酬を受け取るらしい。

毎月1回程度、領地の病院を巡回し、金を手にする。病院側の意識としては、診療に対する対価というより医師派遣の謝礼である。福島県立医大の医局にとって、医師を大学に集めて、地域の医師不足を強めれば、自分たちの経済的メリットが大きくなる。かつて、医師を引き揚げるが他から採用することを許さないとした医局(7)の教授が、どのような報酬を派遣病院から受け取っているか検証してみてはどうだろうか。人事権を持つ教授のアルバイトについては、透明化が必要であろう。

●反知性主義の被害者は県民である
福島県の統制医療は社会主義というよりは、全体主義である。不平等を解消しようという社会主義の持つ原点は観察されず、特権の確保と支配が行動原理になっている。反道徳的行動に対する抑制の欠如が、社会主義より全体主義に近いことを示す。
新専門医制度は大きな論争を巻き起こしたが、矛盾が大きすぎたため、いったん頓挫した。制度が作られると、福島県ではほとんどの診療科で、福島県立医大しか研修基幹病院になれなくなる。福島県内の医療が、今以上に福島県立医大に支配されることになる。

現代の医療倫理は、ナチスへの反省から、医療者は命令ではなく、自分の良心と知識に基づいて判断し、行動することが求められている。判断主体を各医療者とすることで、悪辣な指導者による大きな悲劇が起きるのを防ごうとしている。反知性主義が医療内容に負の影響をあたえるであろうことは、想像に難くない。
福島県は人口10万対医療施設従事医師数が下から5番目であるにもかかわらず、医師の流出が多い。福島県立医大の卒業生も、福島県立医大の蛮性を嫌う。大学ぐるみの反知性主義が改善されない限り、他大学出身者が福島県立医大で研修を受けるとは思えない。福島県の医療のコンセプトを180度変更しない限り、福島県の医師不足が解消することはない。
福島県-福島県立医大の最大の被害者は県民である。福島県-福島県立医大は、もはや公と呼べるようなものではない。彼らは彼ら自身の利害に基づいて行動している。最大の被害者は県民、とりわけ浜通りの住民である。

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