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第88回 医師と患者の適度な距離感

第88回 医師と患者の適度な距離感
香山リカ 精神科医 立教大学教授

 個人的な話になるが、私が卒業した東京医科大学は今年で創立100年。それを記念した学園祭の講演会に講師として呼ばれた。卒後、別の大学病院で研修をしてそのまま医局に入った私は、母校のキャンパスを訪れる機会がめったにない。在学時と変わらない校舎もあれば新しい施設もあり、ひとときの間、懐かしくそして珍しく眺めた。

 講演では、医学部や看護学部の在学生を前に、「医師になってからのコミュニケーションの大切さ」を説いた。インフォームド・コンセントが常識になっている昨今だが、内科や外科でされた医師からの情け容赦ない説明にショックを受け、精神科を受診することになる患者さんも少なくない。情け容赦ない説明は、どんなにベテランになっても「自分がそう言われたらどう感じるだろう」とちょっと想像してから言って、と話した。どんなときも、医師は患者さんや家族を突き放してはならないのだ。

親身になり過ぎが医療上の判断ミスに
 しかし、相手に近づき過ぎて心理的、感情的に巻き込まれるのもいけない。

 私も若い頃、患者さんのご家族に親身になり過ぎて、いつの間にか自分が燃え尽きそうになり、体調を崩す寸前にまで行ったことがあった。今でも思い出すのだが、20代のとき、入院していた患者さんの高齢の母親がとても気を遣ってくれ、手編みのマフラーをくれたり当直のときに手作りのお菓子を届けてくれたりしたことがあった。「先生も大変ですね、お疲れでしょう」と、その母親は私のことを、娘か孫のように気に掛けてくれていたのだ。私もその優しさをとてもうれしく受け止めていた。

 ところが、それが後々、私を苦しめることになった。患者さんは「退院したい」という要求がとても強い人だった。妄想などがあったが、治療により次第に安定してきて、病状的には在宅での療養も可能という状態になったので、私はその旨を面会に来た母親に伝えた。

 「息子さん、ずいぶん落ち着きましたよ。そろそろ退院しても大丈夫だと思います」

 すると、母親は顔色を変えてこう言ったのだ。

「先生、勘弁してください。私も夫も年寄りで体の調子が悪いのです。いま息子に帰って来られたら、もう死ぬしかありません。息子にはかわいそうなのですが、一生この病院に置いてください」

 もちろん、病院は施設ではないので、そんなことはできない。「それはできません」と現実的に伝えればよいのだが、先ほど述べたように、その母親と私は親戚か何かのように距離が近くなっていた。「それは難しい」と伝え、「ここは急性期の病棟で、いま慢性期の病棟はいっぱいだから、せめて別の病院を探しましょうか」と言うと、母親は「ずっと先生に診ていただきたい」とさめざめと涙を流した。

 結局、転院に納得していただくまでに時間がかかり、その患者さんは落ち着かなくなって何度か病状が悪化する局面が生じてしまった。転院のときは、家族との間に大変な気まずさが漂った。私は、「知らない間に距離が近くなり過ぎ、転院のタイミングなどの判断を誤ったのでは」と猛省せざるを得なかった。

 このように、親身になり過ぎることは医療上の判断ミス、決断ミスなどにつながることもある。よく「自分の家族は診ない」と言う医師がいるが、家族に対しては客観的な医学的判断を行うのが難しいからだと思われる。

「突き放さず、巻き込まれず」
 母校での講演では、後輩たちを前にそういったエピソードを話して「『突き放さず、巻き込まれず』の距離感が大切」と伝えた。

 ただ、この適切な距離感はなかなか言葉では説明しづらく、経験を通して習得していくしかない。自転車の乗り方を覚えるように、自分でコツをつかむしかないのだ。そして一度、コツをつかんでしまえば、その後は少々の無理もきくようになる。それも自転車と同じだ。私も、長年顔を合わせている患者さんから「先生、今度コンサートにご一緒しませんか」などと誘われることがあるが、昔なら身構えて「いや、それはできません! お断りします」とすぐ断ったと思う。それがいまは、「そうねえ、あなたとコンサート行ったら楽しいかもしれませんね」などと、まずは肯定的な返事をすることがある。その後でおもむろに付け加えるのだ。

 「でもね、主治医と行くよりは友だちと行く方がずっとステキですよ。そうだ、そのコンサートまでに誘える友だちを見つける、というのを目標にするのはどうでしょう」

 おそらく私の講演を聴いてくれた医学生や看護学生たちも、いくら優れた医療の技術を身に付けていても、今後、必ずこの「患者さんとの距離感」で悩むことがあるはずだ。というより、「いや、いつも十分に距離を取って突き放しているから、悩むことなんてないです」と平気な顔をし続けるよりは、「患者さん、まだお子さんが小さいので入院、手術と伝えたらとてもショックを受けていて……私もしんどいです」と一時期はきちんと悩めるドクターになってほしい、という思いがある。

 「医療の仕事はステキですよ。もちろん金融とかITとか、それぞれの仕事にやりがいはありますが、どうしても同じ業界の人と接することが多くなるでしょう。その点、医療の現場には本当にさまざまな人たちがやって来て、全ての人間ドラマに立ち合うことができるはず。自分と違う立場や考えの人たちをシャットアウトせずに、『こんな人生もあるんだな』と現場で出会う人たちを理解し共感しつつ、みなさんもぜひ自分を成長させてくださいね」

 若い聴衆は、私の話にいまひとつピンと来ていないようだったが、いつか「ははあ、あのときあの先輩が言っていたのはこのことだったのか」と気づく日があるだろう。「突き放さず、巻き込まれず」、一生、医療の仕事を彼らが続けてくれることを願っている。

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