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相模原事件が突き付けた課題

相模原事件が突き付けた課題
香山リカ 精神科医 立教大学教授

 神奈川県相模原市内の障害者施設に刃物を持った男が忍び込み、入所者19人が殺害され、26人が重軽傷を負う事件が起きた。容疑者の男性はその施設の元職員で、今年2月には衆議院議長に「障害者は安楽死が望ましい」などと記した書状を渡そうとし、それがきっかけで施設を退職することとなった。決して処遇に不満があったわけではなさそうだ。

 こういう事件があると、医療関係の仕事に就く人、特に診療所や病院の経営、運営にあたるドクターはぞっとして、まず「うちのセキュリティーには問題はないか」と振り返るのではないか。

 個人的な話になるが、私の実家は産科医院であった。お産も扱っていたが医師は父親一人だけ、小さな有床診療所だ。

 もう半世紀近く前の話だが、開業当初、産科は「24時間ドアがオープンしている場所」などと言われていた。破水して分娩が近い妊婦さんが駆け込んできたり、生まれた赤ちゃんの顔を見に遠方から祖父母が駆け付けたりということもしばしばで、確か実家の医院のドアも時間で施錠することはなかったのではないか。いま思うとあまりにものどかな時代であった。

 それに比べれば、いまはどの診療所、施設でもセキュリティーは格段に強化されている。たとえ夜勤の職員でも、鍵や暗証番号を使わないと入れないところがほとんどだろう。また大学病院などのような大病院は夜間通用口のところに受付があり、外来者を必ずチェックしているはずだ。

 とはいえ、職員の交代や緊急事態の発生の多い病院や施設では、施錠や不審者の出入り遮断を完璧にするのは難しい。

 そうなると、次は異常事態に備えた対応を講じるしかないが、今回、侵入者は施設の内部をよく知っており、まず夜勤の職員を拘束したといわれる。そのため警察や警備会社などへの連絡もできなかった。

セキュリティー強化と患者の不便
 この事件をきっかけに、今後、病院や施設ではセキュリティーがより厳しくなり、外来者は厳重にチェックされることになるかもしれない。

 例えば私の勤務するクリニックは一つのフロアでいくつかの診療科が同時に診察を行っており、待合室は共同になっているのだが、そこに座っている人が本当に受診のために訪れた人なのか、何らかのチェックが行われるようになるのではないか。

 しかし、そうすることで不便を感じたり疑われた気持ちになったりする患者さんもいるだろう。

 医療機関や障害者施設は本来、体の調子の悪い人、障害を持った人に広く開かれたものであるべきだ。「今日は受診ではないのですが、近くを歩いていたらちょっとめまいがしたので、休ませてください」と通院者が立ち寄った場合に、これまでは「どうぞ」とソファを貸し、冷たい水を運んでいたような診療所も、これからは「受け付けしていない方はお入りいただけません」と拒絶せざるを得なくなる。これは由々しき問題だと思う。

 それからもう一つ、医療関係者にぜひ考えてもらいたいのは、今回の容疑者が「障害者はこの世にいない方が社会のため、家族のため」という非常に特殊な価値観を持っていたことだ。

 とはいえ、これはこの男だけの考えだとも言い切れない。いまの世の中、「活躍している人」「仕事で業績を上げた人」などが「価値ある人」で、医療費や社会保障費の増大と同時に医療や福祉のケアを受ける人は“社会のお荷物”と見なされる傾向がある。

 政権が掲げる「一億総活躍」が流行語のようになりつつあるが、この言葉を口にするとき、多くの人の頭にあるのは、イキイキと働いている人やスポーツで勝利を手にした人などなのではないか。

医療人だからこそ発信できる障害者の価値
 医療関係者は日ごろ、老いたり病んだり障害を持っていたりしても、精いっぱい生きている人、その存在だけで家族に喜びを与えている人を目にしているはずだ。

 また、たとえ元気なときのようには働けなくなっても、その人らしさを別の場面で発揮して新しい価値を手にしている人も、間近で見ているのではないだろうか。

 ぜひ、そういう話を機会があるたびにして、「病んでも障害を持っても人には生きる価値がある」と主張してほしい。それを説得力のある形で伝えることができるのは、日ごろ現場にいる医療関係者だけだと思う。

 また、今は元気な人でもいつかは病んだり思わぬ障害を背負ったりして、誰かの手を借りながら生きていかなければならない、という人生の真実についても、ぜひ積極的に話をしてほしい。

 「障害者はいない方が世の中の幸福につながる」と言った今回の凶行の容疑者にしても、あと30年もすれば体のあちこちに不調が出てきて、医療や福祉のお世話にならないとも限らない。あるいは、突然の事故などで人生の中途で障害を背負う確率もゼロとは言えない。

 アメリカで国民皆保険を目指す、いわゆるオバマ・ケアに強く反対していた保守系の地方議員が、あるとき慢性疾患に陥りかかったら、とたんに「助けてほしい」と寄付や援助を要求し出した、という話を聞いたことがある。

 人間とはおそらくそんなもので、自分が強い立場にあるときは、そうでない人の事情や気持ちはまるで考えられないのだ。

 それに対して、「誰もが病になる可能性がある」と経験を踏まえて言えるのも、また医療関係者だけである。

 今回の相模原の事件で、医療関係者は「施設のセキュリティーをどうするか」という重い宿題と、同時に「弱者、病者にも生きる価値や権利はある」と発信しなければならないという重い使命とが与えられた。

 日ごろの臨床や医院経営で多忙だとは思うが、ぜひ「一人の常軌を逸した男が起こした特殊な事件なんだ」で済ませることなく、この宿題と使命について考えてみてもらいたいと思う。

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