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みらいアセット札付き役員、過去の露見恐れ逃亡

医療を食い物にする虚言と交友の一部始終
 医療コンサルティング会社経営幹部にして元証券会社役員が病院長の退職を名指しで公言。だが、彼の言はすべて虚偽だった。そんな白昼夢のような話を9月号に掲載した。主役はみらい証券(MS)元取締役で現みらいアセットマネジメント(MAM)常務取締役の自称「医療コンサルタント」増村章仁である。
 その増村と同社社長の矢野英明が今年11月にも退陣を画策していることが本誌の取材で明らかになった。
 MSの取締役として近く外資系企業から人員が送り込まれる。経営の透明性の観点から枝に当たるMAMの存在が問題視されたのだ。不動産業界に詳しい事情通が語る。
 「買収が成立すれば、旧経営陣には説明責任が求められます。身の危険を感じて逃げ出すんでしょう」

 MSは、9月に民事再生が受理された武富士と、7月に木村剛前会長が逮捕された日本振興銀行と資本面で緊密な関係にあったといわれている。両社の相次ぐ座礁はみらいにも多大な影響を与えたようだ。矢野と増村の退社は本体のMSサイドの強い意向ともみられる。弊誌の記事も格好の追い風となったようだ。
 「あんまり急な話だったんで、辞める理由を聞きました。『いろいろあるんです』としか言わない。医療関連の仕事は続けるつもりらしいが、どうなんだろうね」(同前)

 9月の記事掲載以降も弊誌では増村の周辺を洗い続けた。すると、悪評の数々が雲霧のごとく巻き起こってくる。記事を読んだ同業者からの情報提供もあった。内容はこれまた手ひどい評判の数々。「とんでもないやつ」「とにかくうそつき」「九分九厘うまくいく案件も駄目にする」「あれが絡んできたら、すぐ手を引くことにしている」などなど。ここまでぱっとしないと、医療界で本当に仕事ができていたのか心配になってしまうほどだ。かつて病院のM&A(合併・買収)を扱った経験のある企業経営者が語る。

 「増村が生き残っているのには理由があります。追い込まれるとすぐに『背景』をちらつかせるんです」

 増村にどんなバックがあるというのか。それはひとまず後にして、もう少しこの珍妙な人物に迫ってみる。
 MAMのウェブサイトには矢野をはじめ、増村ら役員の経歴が掲載されている。いわば会社の「顔」に当たる記述と言ってもいいだろう。ところが、これもうそ八百だという。
 「職歴として書かれている外資系自動車ディーラーに増村が勤務した事実はありません」(病院長)

 ウェブサイトでは省略されているものの、増村は商談の際に「青山学院大学卒業」と触れ回っている。

 「青学卒?それは初めて聞いたな。10年前は違う大学名を挙げていましたけどね」(前出事情通)

 「ひところは『父親が警視庁に勤めていた』と吹聴していました。とにかく自分を大きく見せたくてしょうがない人という印象」(前出経営者)

ダイナシティグループが古巣
 MSという証券会社を親会社とするMAMの役員がここまで堂々と経歴を詐称していいのだろうか。うそで塗り固められたプロフィールにはまだまだ事実と違う点が隠されているかもしれない。そう考えるのが自然だ。そこまでして箔付けに励まなくてはならない増村の虚業渡世の出自は意外な企業との接点にあった。

 ダイナシティというマンションデベロッパーをご存知だろうか。2009年5月には東京地方裁判所に再生計画が認可。6月には全額減資。現在は生産会社に移行している。

 ダイナシティが一躍その名を世間にとどろかせたのは01年のこと。不動産系ベンチャー企業として業績はうなぎ上り。ジャスダックに上場を果たした(後にJ-stock銘柄)。

 バブル経済が完全に終息した1994年に創業。不況のさなか不動産仲介業に邁進する。

 97年には可処分所得の多い層を当て込んだ小規模マンション「ダイナシティ」「デュオ・スカーラ」「スカーラ」の各シリーズを自社展開。東京の中央部などで高価格分譲により実績を上げた。04年にはゴルフ場経営にも手を染め、いよいよこの世の春を謳歌(おうか)するかに見えた。

 だが、好事魔多し。翌05年5月、創業社長の中山諭が覚醒剤所持で逮捕される。中山は取締役会で解任され、同年末に創業者一族が保有株式をライブドアファイナンスに売却。06年にはライブドア事件の余波でインボイスの子会社となる。08年以降は米国発の世界同時不況の影響で不動産販売が冷え込む。資金繰りが途絶え、10月には東京地裁に民事再生を申請するに至った。

 ダイナシティはグループ会社としてメディカルブレイン(MB)を立ち上げている。増村は取締役として参画した。この会社での経験が自称コンサルの原点だ。季節外れのバブル臭と激しすぎる浮き沈み。増村のその後を暗示する舞台がしつらえられた。

 前出の中山が社長を務めるMBはダイナシティが医療関連事業へ参入するための先兵。本体が手がけるマンション分譲事業との相乗効果をもくろみ、03年から有料老人ホーム事業に参入。増村はコンサルとしてのノウハウを巧みに盗んでいった。

 「そのころの増村の仕事ぶり?今とそれほど変わっていない。表には出せないようなトラブルがいっぱいあるはずだよ」(前出経営者)

 ダイナシティの頓挫以降は生保会社などを転々とし、07年にはAMメディカルの社長に収まる。「MA」とは増村のイニシャル。あまりにも陳腐な社名の由来を耳にした業界関係者は一様に失笑を禁じ得なかった。同時期に並行して東京・飯田橋で「日本メディカル」を名乗る会社に手を出したり、財閥系不動産企業を出資元に兜町のはずれで小さな事務所を構えたりしたこともあった。

 ところが翌08年、増村の運命は一転する。AM社が丸ごとMSに買い取られることになったのだ。08年夏、新天地で起死回生を図る増村は3枚の名刺を随所で配り歩いている。

〈みらい証券/社長室〉
〈みらいエフピー/取締役メディカル事業部長〉
〈みらいケア/代表取締役〉

 いずれも当時の肩書だ。不遇をかこっていた身から一気に飛躍の好機をつかんだ。増村がどれほど増長していたかは想像に難くない。

「しばらく顔を見ないと思っていたら、いきなりみらいの名刺を持って訪ねてきた。『ああ、賢いやつだな』と思ったね」(同前)

 ウェブサイトの経歴によれば、この時期、増村は〈介護老人保健施設設立、総合病院のM&A、看護学校の設立を計23件成立させ〉ている。

だが、自称コンサルの「実力」を物語る案件をここで一つ紹介しよう。

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